日本を代表するロックスターである矢沢永吉さんですが、その年収も桁違いです。
矢沢永吉さんは半世紀近いキャリアの中で、多くの熱狂的なファンを取り組み、その濃いファンから効率的に収益をあげる仕組みを完成させているのです。
誰もが知る国民的ヒット曲がないとミュージシャンはお金持ちにならない、ずっと飯を食えないと思っている人もいるみたいですが、その幻想を打ち砕いてくれたのが矢沢永吉さんです。
「なんでお金持ってるの?」シリーズで有名なGACKTさんも同じようなパターンですね。
今日は矢沢永吉さんの年収やギャラ、資産と、私生活での自宅や車などプライベートな部分を書いてみたいと思います。
また、あの有名な35億円の持ち逃げによる借金についても書いてみたいと思います。
目次
矢沢永吉の年収は現在でも5億?資産は100億越えか?ライブ周りの収益化と印税・巨額のギャラ
1970年代前半にキャロルのボーカルとして人気者になった矢沢永吉さんですが、本格的に稼ぎ出したのはソロアーティストとして起動に乗った70年代の後半です。
武道館や後楽園ホールという、当時にしてはありえない大会場を1人の日本人で埋めてしまったのです。
その後に巨額の借金を背負ったことで、コンサートからの収益の仕方がどんどん効率化されていきました。
矢沢永吉さんのコンサートツアーは地方ホールなどから開始され、最後は日本武道館で3日から5日程度の日程でファイナルを迎えます。そうすると1つのツアーでの動員数は15万人から20万人程度になります。
ファンはただチケットを買うだけでなく、毎年デザインが変わり、在庫を抱えずに売り切られる限定タオルやツアートラックのミニカーなども購入します。
ディズニーワールドの収益の半分が実はフードだと言われてますが、それは矢沢永吉さんのライブにおけるグッズと同じです。
チケット代とその年しか手に入らないグッズの売り上げで、最終的には30億のお金が動くとされてます。
また、ライブツアーが終わった後は必ず公演のディスク化がされます。このDVDまでの利益が矢沢永吉さんがライブツアーで稼ぐお金の全てであります。
ざっくり計算しただけでも、矢沢さんは1つのコンサートツアーで4億前後のお金は稼いでいると思われます。
矢沢永吉は印税もすごい?アルバムの売り上げ記録とキャロルの権利
矢沢永吉さんはコンサートツアーを中心にチケット代、グッズ、映像作品の販売で巨額の収入を獲得していますが、印税や使用料もすごいです。
約半世紀にのぼるキャリアの中で、多くの楽曲をリリースした矢沢さんですが、メガヒットはなくとも、”少しヒットした”という曲が無数にあります。
日本の男性ソロアーティストのアルバム売り上げの記録を保持しており、印税で多く儲けることはなくとも、”儲からないことは絶対にない”状態です。
全国に支部が生まれるほどに熱いファンを多く抱え、その彼らが集会のカラオケで歌うカラオケ印税だけでも良い収入になっています。(矢沢ファンがやってるカラオケ付きの飲み屋がたくさんありますが、矢沢さんにとっては自販機のような存在です)
また、アスリートで矢沢さんの楽曲を使用する人も多いです。
最近では格闘家の那須川天心さんが有名ですね。
少し前なら三浦大輔さんやイチローさん、岩村選手なども使用していました。
三浦投手の引退式で矢沢さんが映像で挨拶をしたのは記憶に新しいです。
そして70年代を代表するロックバンド「キャロル」の権利を持っているのも矢沢永吉さんです。
「ファンキーモンキーベイビー」は誰もが知る名曲で、今でもテレビなどで頻繁に流れますね。
おじさんの芸能人が70年代の思い出を語ったりする際、大抵はキャロルの楽曲が流されます。
以前に所ジョージさんが自分の曲がCMに使われただけ、その時期だけで凄い使用料が入ったと仰っていました。
半永久的に使用されるであろうキャロルのヒット曲の権利を持っているということで、その使用料だけでもとんでもない額を儲けてることが予想されます。
CM出演で数億?スポンサーとメディア出演のギャラも高額!
矢沢永吉さんといえばお酒や車のCMに出演されてることで有名ですね。
ゴールデンタイムに流れる大企業のCMにずっと出続けるのは、並大抵のことではありません。
矢沢永吉さんの収入の中でも、CMのスポンサー広告料も大きな割合を占めてます。簡単に見積もっても数億は余裕でもらっています。
また、稀にメディアに顔を出せば、その出演料も高額です。
過去、1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位を記録したのを筆頭に、その後もずっと上位をキープしていました。
CDが売れない時代になって、多くのミュージシャンが矢沢永吉さんのようなビジネスモデルを追いかけていますが、その頂点に君臨する矢沢さんは近年もずっと上位にであり続けることでしょう。(長者番付は廃止されている)
矢沢永吉の自宅は南麻布。15億円の大豪邸!地上4階地下3階にライブハウス付き
毎年、5億の収入は堅い矢沢永吉さんですが、住んでる自宅も立派です。
矢沢さんは東京都麻布の一等地に、740平方メートルの豪邸を建てたとして話題になったことがあります。
土地代だけで7億円以上。建物だけで7億円以上。合計すると15億円の大豪邸で、に地上4階地下3階という構えで、子供家族と一緒に住んでるそうです。
建物の一階はお客さん用のスペースで、2階より上が住居スペースになっているそうです。
地下には五十人を収容できるライブハウスにレコーディングスタジオ、リハーサルスタジオなどがあるとされてます。
自宅のスタジオはコロナ禍の際にチラッとメディアに登場しましたね。
とても自宅とは思えないほどの作り込みです。
地下は3階もあるということで、映画用や音楽を聴いてリラックスするような部屋もありそうです。
矢沢永吉のアメリカ・ロサンゼルスの豪邸とクルーザー
矢沢永吉さんは1997年からアメリカ・ロサンゼルスに家族で移り住んでいました。
現在も保有されているかわかりませんが、過去に矢沢さんの映像作品に登場しファンを感動させました。
いかにもロサンゼルス、ハリウッドといったような豪邸ですね・・・。
自宅にあるプールには矢沢さんのロゴマークが底に書かれています。
長女の洋子さんは、アメリカ生活時代の思い出として、父が学校まで送迎してくれたことなどを語っていました。
現地ではのびのびと普通のお父さんらしいことができたのですね!
この自宅のそばのハーバーにはクルーズも所持しているそうです。
矢沢永吉のアメリカで所持する豪華なクルーザー
ロサンゼルスの豪邸の近くのハーバーには、矢沢永吉さんの大きなクルーズがあります。
その内装はいかにもロックンローラーという感じです。
クルーザーの大きさは全長70フィート(約21m)で、は4部屋(各地トイレ完備)。
内部にはレストラン並みのキッチンも完備されているそうです。
アメリカンドリームを実現したかのような生活を、現地で送っているのですね。
山梨県山中湖の自宅は矢沢永吉の黒歴史?ファンが騒ぎ引っ越し荒れ屋(現在は更地)
矢沢永吉さんといえば、山梨県の山中湖に自宅を構えていた時期があります。
週刊誌の目を避けるための田舎生活のはずでしたが、週刊誌が自宅の場所を報じてしまったために、多くのファンが訪問して騒いでしまったそうです。
当時は近所住民からもクレームが来て、大変だったそうです。
カントリーっぽい雰囲気の、とても和やかな家です。
当初は家族とともにリラックスした時間が過ごせたでしょうが、ファンが訪問するようになってからは嫁さんはノイローゼになり、娘は学校に行きたくないと言い出したそうです。
すぐに引っ越したみたいですが、空き家になった後もファンが聖地として訪問し、やりたい放題やってしまっていたそうです。
空き家はやがて荒れ屋になり、現在では更地になっています。
少しでも家族の楽しい時間が眠る場所だと思うと、色々と切ないですね。
最初の嫁と既婚だった時期に不倫相手・マリアと住んだ原宿のマンション「ビラ・ビアンカ」
矢沢永吉さんの現在の嫁さんが2人目なのは有名ですが、愛人ができてから離婚するまでに10年以上の歳月があったのはあまり知られていません。
嫁と子供の待つ家に帰らないで、原宿にあるおしゃれなマンションで当時不倫相手だったマリアさんとひっそりと暮らしていたそうです。
渋谷などまですぐに行ける立地だったということで、当時はふたりでひそひそと楽しい時間を過ごされたことでしょう。
横浜・弘明寺の掃き溜めとすみ子と住んだ川崎のアパート
矢沢永吉さんが広島から東京に向かう途中に、無意識に横浜に降りて、そこで仕事と仲間を見つけたのは有名な話ですね。
商店街で見つけた住み込みの仕事に応募し、飲食店で働きながら弘明寺の掃き溜めのようなアパートで暮らしていたそうです。
すみ子さんと結婚前提で同居した川崎のアパートは飲食の2階部分にあり、その飲食店「のり江」は健在で多くのファンが写真撮影に訪れるそうです。
矢沢永吉の資産。100億越え?代表例が赤坂の事務所&スタジオ&ショップ
30年以上も巨人の主力選手ばりの年収を稼いできた矢沢永吉さん。(3億〜7億)
ライブツアー1つから効率よく稼ぐことに長けてますが、稼いだお金の使い方にも長けているそうです。
2003年に東京都の赤坂に建てた事務所と兼ねたショップ、バー、スタジオはとても合理的な建物です。
矢沢永吉さん本人がリハーサルを行うこともあれば、事務的な仕事をするような場所でもあります。
ライブ期間中は矢沢さん本人が出入りする可能性があるとして、外には大勢のファンが集います。
建物の中には「diamond moon」というショップもあれば、貴重な品々が飾られるスペースや、お酒が飲めバーもあります。出待ちのファンの方々が何かしらのお客さんとして迎えることもできるのです。
出待ちや追っかけの有益化という意味で、とても斬新だと思います。
矢沢永吉の生涯年収はどんぶり勘定でも200億以上。長者番付の首位数回の実績
矢沢永吉さんは1978年、1980年、1982年に長者番付1位を記録しました。
その後のずっと上位に君臨し続け、近年長者番付は廃止されましたが、変わらずに多くの収入があるとされています。
40年間以上、年収は5億以上だったと想定すると、生涯年収はどんぶり勘定でも200億以上はあります。
税金を綺麗に半分払ったとしても、手取りで100億はもらっているということです。
お金の使い道もしっかりと考えられており、過去35億の借金で足踏みしたことはありましたが、結果としては日本のミュージシャンの中で最も稼いだ方ではないでしょうか?
矢沢永吉の愛車は28歳の頃にかたベンツ450SE!ポルシェやリンカーンやコンチネンタル
若い頃から稼ぎまくっている矢沢永吉さん。
売れない時代は「キャデラックに乗る」と決めていたそうです。
現在、愛車にしているのは、なんと28歳の頃にショールームで一目惚れして購入したベンツ450SEです。
当時はベンツに乗ってるミュージシャンがいなかったということで、あえてベンツに乗っていたそうです。
40年前の愛車をフルメンテして現在も乗っているそうです。
まず、最初に買った車をいまだに大切に保持してるということが驚きですね!
若い頃の愛車は?サイコロで朝選んで乗っていた伝説
それでも若い頃はポルシェやリンカーン、アウディなど高級車を買い漁っていたそうです。
サイコロで出た目でその日乗る車を選んでた時代もあったそうです。
シルバーメッキのポルシェは、盗難の被害に遭ってしまったそうですが・・・。
現在ではセンチュリーのリムジンに運転手をつけて移動してる姿が多く目撃されています。
矢沢永吉の35億借金の真相。オーストラリアの事業に投資して持ち逃げされる
矢沢永吉さんといえば、過去に35億の借金を返済したというとんでもない伝説をもっています。
発端は80年に入って、音楽を通じてたくさんの経験やチャレンジができる場所を作ろうと、オーストラリアで巨大な敷地に施設を作ってスタジオやスクールを入れようとの目論みでした。
当時、信用していたH・K氏(当時49歳)さんと現地法人「カムストック・コーポレーション」を設立。
掛かったお金は敷地1万平方メートルで20億円、同内ビルで約11億円、プロジェクトの資金約4億円と合計で35億でありました。
しかし、建物を取り壊し、跡地に新ビルを建設するという段階で、資金を預けていたH・K氏が失踪。
当時のマネージャーは、
現地から定期的に送られてくる報告書に不審な点があったため、現地調査にいったんです。すると、H氏たちが数年前、現地法人が購入した土地や建物を無断で担保にして銀行融資を受け、それが返済できずに差し押さえられて、第三者に売却されていることが判明したんです。
と35億を責任を押し付ける形でうまく持ち逃げされたことが発覚したのです。
約35億ものお金を持ち逃げされてしまったのです。
当時、オーストラリア史上、2番目に巨額な詐欺事件として取り扱われました。
騙した人は逮捕されていないが矢沢永吉のビジネスモデルが洗練される
矢沢永吉さんは騙された後のことを、
被害総額が35億円だから、ギブアップですよね。普通もう立ち上がれないじゃないですか。
(友人と思っていた人物の裏切りに)髪の毛が抜けながら、過去吸の手前ぐらいまで、精神的にそりゃ、なるじゃないですか。はめたヤツが許せない。
自分に対しても悔しかったし
と語っています。
最初、お酒に逃げていたそうですが、当時の嫁のマリアさんに鼓舞されて仕事に没頭し、以前以上に多く働き、効率的にお金が回るシステムも考え、約15年かけて返済したのです。(年間で2億以上を返してた計算です)
借金してる間は家族で海外に移住したり、メディアに出たり、色々と苦労されていましたが、後々考えてみると、返済にあえぐ期間に”矢沢”というブランドを上手く活かした収益の仕組みが完成されたような気がします。
結果的に以前よりも洗練されたビジネスマンとなっていました。
悪いこともあれば良いこともある、それが永遠と繰り返されているのが矢沢さんのストーリーの魅力ですね。