昭和と平成を乗り越え、現在でも大人気な矢沢永吉さん。
彼の代表曲である「止まらないhaha」は現在の若者にも認知されるほどの名曲です。
人気格闘家・那須川天心さんが入場エントランスでこの曲を使用してることも、若者にも認知されるきっかけになっていることでしょう。
入場の演出では矢沢さんの英字フォントをパロディにしており、元ネタを辿って矢沢さんのことを知る若者もいるそうです。(時代も変わりましたね)
今日は矢沢永吉さんのヒット曲「止まらないhaha」の詳細や人気の理由を書いてみたいと思います。
目次
矢沢永吉”止まらないhaha”の収録アルバムとPV
矢沢永吉さんの「止まらないHa〜Ha」は、1986年7月25日に発売されたアルバム『東京ナイト』に収録された曲です。
同アルバムを代表する名曲です。
「東京ナイト」を発売した1986年に行なったコンサートツアーのタイトル「Feelin' come HA〜HA」は、この曲の歌詞の一部から抜擢された名前でありました。
ライブツアーのタイトルに人気曲の歌詞を採用するのは稀なケースで、それほどに当時のこの曲に勢いがあったということです。
「止まらないhaha」のPV。横浜中華街で撮影?ライブでの立ち位置
「止まらないhaha」のPVでは中国の繁華街を颯爽と歩く矢沢永吉さんの姿があります。
中国人の男性らとテーブルを囲んで何やらゲームをしている矢沢さんの姿があります。
当時の日本はバブルだったということで、日本人の好景気なノリが伺える映像です。
最後、駅のホームでタバコを吸う矢沢永吉さんの姿がありますが、現代だったら怒られますね。まず、当時はまだ喫煙者だったという事実に時代を感じさせられます。
最後、駅が横浜駅だったということで、もしかしたら繁華街は中国ではなくて横浜中華街だったのかもしれませんね。
ライブではアンコールや終盤に演奏。フェスやテレビでもよく披露される
矢沢永吉さんの代表曲である「止まらないhaha」はコンサートでは終盤に演奏されることが多いです。この曲を演奏するときだけ、矢沢さんが白いハットを被ったりすることがあります。
特別なライブではコンドラやバイク・オープンカーに乗ったり、凝った演出で披露されることが多いです。
またメディア向けの演奏やフェス出演などでも演奏されることが多いですね。
会場でこ生の矢沢さんの存在感に圧倒され、さらにこの曲の魅力を知ってファンになる人も多いようです。
もっとフェスに出演すれば若いファンもたくさん取り込めそうですね。
ちあき哲也さんってどんな人?
実は「止まらないhaha」の作詞は矢沢永吉さんではなく、「ちあき哲也」さんです。
2015年に死去された際は大きなニュースになり、多くの大物ミュージシャンから追悼のコメントが出ていました。
矢沢永吉さんは多くの作品でちあき哲也さんに作詞を任せています。
アルバム、1982年「P・M・9」と1983年「I am a M0del」では全曲を彼に任せており、死去後に矢沢さんは「今さらながらだけど、本当にあんな独特な世界観を持った人はいなかったね。心からご冥福をお祈り申し上げたいです」とコメントしています。
イチローや那須川天心、三浦大輔など多くの大物スポーツ選手が入場曲に使用
この矢沢永吉さんの「止まらないhaha」は過去も現在も、多くのスポーツ選手が登場曲として使用してきました。
現在、有名なのは那須川天心選手ですね。
お父さんの影響のようですが、那須川さん本人も矢沢さんの楽曲が好きなようです。
イチロー選手は2007年に使用し、その後に本やメディアで対談していました。
シーズン中に矢沢永吉さんのタオルを首にかけてるイチローさんの姿も目撃されており、あるドキュメントでは「共に戦いました」と誇らしげに語っていました。
対談では矢沢さんのイチローさんに対してリスペクトの気持ちを明かしており、まさに相思相愛の関係のようです。
ファンとして一番馴染みが深いのは、長年横浜ベイスターズで活躍したハマの番長・三浦大輔投手ですね。
三浦大輔はプライベートで何年も矢沢のライブに通い登場曲としてずっと「止まらないhaha」を使用
三浦大輔さんといえばデビュー以来からリーゼントの髪型が印象深いですね。
あの髪型、実は矢沢永吉さんを意識してるみたいです。
三浦さんが長年所属していた球団の本拠地が横浜でありますが、矢沢永吉さんにとっての横浜も特別な場所です。「止まらないhaha」のPVの最後は横浜駅のホームが映し出されたぐらいですから。
ぼろぼろになっても現役で踏ん張り続けた晩年の三浦大輔さんは、何か矢沢永吉さんと重なるものがありました。
引退する最後は矢沢永吉さんがビデオメッセージが送られていました。
矢沢さんからのメッセージは、
「ハマの番長こと三浦大輔選手、このたびは本当にご苦労さまです。まだ、お会いしたことはありませんが、25年、1つのことを続けるのはすごいこと。野球人生はまだ続けると聞いている。素晴らしいことだと思います。本当に25年間、ご苦労さまでした」
との内容。
三浦大輔さんの人脈からいけば、会おうと思えば会えた方だと思います。あえて遠い存在として矢沢さんを見上げていたということで、ファンの間でも三浦さんに親近感を覚えた方も多いと思います。
三浦大輔は矢沢永吉をモチベーションにギネス認定された男
三浦さんはオフシーズンの矢沢さんのライブを白いスーツを着て参戦していたということで、正真正銘の大ファンです。
ちなみ三浦さんは打席で使用するバッドに白いテープを巻いてたのですが、それも矢沢さんの影響だったそうです。
「それもあるんですが、僕は矢沢永吉さんが好きなので(笑)矢沢永吉さんがスタンドマイクに白テープを巻いているので、僕も巻こうと(笑)そして、打席の入場曲は矢沢永吉さんの曲なんです。」
プロ野球選手でここまでやる人がいたなんて、色々とすごいですね・・・笑。
三浦さんは「プロ野球投手による安打最多連続年数」として、24年連続安打を記録してギネスに認定されています。
打者としてではありますが、三浦さんは矢沢パワーで世界に名を残したという偉業を成し遂げています。