実はバツイチであることがあまり知られていない人気ロックシンガーの矢沢永吉さん。

矢沢永吉さんは1990年に再婚という形で現在の嫁・マリアさんと入籍しています。

元嫁・すみ子さんとの馴れ初めや生まれた子供に関する話はあまり出ておらず、離婚した後の状況はわかりにくいです。

すみ子さんと、その間に生まれた3人の子供が離婚後も矢沢永吉さんの関連会社で関わりが続いていたという意外な事実があります。

また、すみ子さんがすでに亡くなっているとの噂もあります。

今日は矢沢永吉さんの初婚と、その相手のすみ子さん、そして子供について書いてみたいと思います。

矢沢永吉と最初の嫁・すみ子の馴れ初め。出会いは無名時代の歌ったディスコ「グルッペ」

かつては横浜に矢沢永吉さんのファンにとって聖地とされた場所ありました。

その場所の名前は「グルッペ」と言われるディスコです。

矢沢永吉さんは1970年代の前半、無名時代に組んでいたバンド「ヤマト」で、毎晩のようにディスコ「グルッペ」で歌っていたのです。

矢沢さんと最初の嫁・すみ子さんが出会ったのもこのグルッペという場所です。ちなみに後に一緒に音楽をやるジョニー小倉さんとの出会いの場所もグルッペでありました。

矢沢永吉さんは1972年にお客さんとして「グルッペ」に来たすみ子さんに一目惚れし、出会ったその日に交際と結婚を心に決めたそうです。

矢沢永吉はすみ子に一目惚れ。すぐに同棲交際し結婚

すみ子さんは矢沢永吉さんとよりも3歳年下の女性でした。

当時の矢沢永吉さんは23歳で、すみ子さんは20歳だったということになります。

矢沢永吉さんはすみ子さんと出会ったばかりの頃の心境を自身でこう綴っています↓

ディスコに来たマブイ女 それが女房だった

結婚前提でつきあってくれ 出会ったその夜に言った 同棲が始まった

すみ子さんはすぐに実家を出て矢沢さんと一緒に川崎の家で同棲を始め、その後にすぐ入籍しました。

嫁さんは銀行員の仕事をしていたがやめらせて専業になってもらったとのことですが、売れる前にその決断をしたのがすごいですね。

もしかしたら妊娠してて、当時の日本の常識では仕事をやめないといけない雰囲気だけだったのかもしれませんが。

結婚した当初はお金の工面に困り挙式はもちろん、旅行もなし。

結婚指輪に関しては矢沢さんの母が買ってあげたそうです。

その結婚指輪さはキャロルが大きなライブが決まった際に、衣装のジャケットとブーツを購入するのに一時、質屋に入れたというから驚きです。

すみ子さんは健気に矢沢永吉さんの夢を支えていたということです。

矢沢永吉とすみ子の離婚理由。忙しさ故の愛の冷め、不倫相手の子供、多額の借金。

1972年に矢沢永吉さんの一目惚れで始まった恋は同年にゴールインし、その後も順調に育まれました。

矢沢永吉さんは新婚時代にキャロルのボーカルとして人気者になりますが、その当時でも家族を優先していました。

他のメンバーが東京で家賃8万の物件に住み、毎日女を取っ替え引っ替えして深酒して遊んでた時に、矢沢永吉さんだけは川崎の家賃一万七千円のアパートに帰り、家族サービスに励んでいました。

しかし、キャロルが解散して以降、ソロとして活動する上で、家でも作曲に勤しみ、家に帰る時間もバラバラになってしまったそうです。

その時期から嫁・すみ子さんは「家に仕事を持ち帰る男なんて」「朝8時に仕事に出て、夜6時に帰る男と結婚したかった」と弱音が出ていたそうです。

矢沢永吉さんは離婚理由に関しては「愛が無くなったから」と仰っていたので、後ほど説明する愛人や借金の問題の手前から、すでに夫婦生活が崩壊していたことが分かります。

すみ子との離婚の決定打。愛人・マリアとの長年の不倫関係とその子供。多額の借金も追い討ち・・・

ソロとして順調に仕事が進むほどに、矢沢さんと嫁さんの心に距離ができていたそうです。

そして1977年頃に知り合った、当時モデルのマリアさんとの不倫関係も始まった時点で、すみ子さんと矢沢さんの離婚は決定的になったとされます。

1980年頃には、矢沢永吉さんとマリアさんの大胆な不倫関係は週刊誌でも報じられました。

しかし、矢沢さんはすぐにすみ子さんとは離婚しませんでした。

すでに家庭は崩壊していたにも関わらず、籍だけはずっと入れていたのです。

1985年には不倫相手・マリアさんとの間に娘が生まれました。

それから4年後の1989年に、ようやく二人は離婚することになります。

矢沢さんはすみ子さんと離婚した1年後の1990年に、すぐにマリアさんと再婚しました。

マリアが借金35億に絶望する矢沢永吉を勇気づけた?

矢沢永吉さんが愛人に流れてしまった事実だけをみると、とてもひどい男のように思えますが、当時の矢沢さんにとってのマリアさんの存在はリスペクトに値します。

矢沢永吉さんといえば35億の借金を長い歳月返していたことで知られてますが、それが報道されるずっと前から、すでに借金が始まり返していたのです。

矢沢さんが騙されて借金に気づいた時期は、まだマリアさんと愛人の関係でした。

そんなとき、マリアさんが酒に溺れる矢沢さんを叱咤激励したことにより、ようやく矢沢さんは酒を断ち、借金返済に向けて動き出したのです。

矢沢永吉の元嫁・すみ子が死去?3人の子供の現在。長男・栄一郎、次男・寛十郎さん、長女・綾子。

1989年にすみ子さんと離婚した矢沢さんですがその後も自分の会社の役員にすみ子さんを置くなど、関係は完全に断ち切らず、むしろ何かしたの形で前の家庭に貢献しようとしていたのです。

別れた際の慰謝料は3500万から6000万ほど(ポルシェ3台分らしい)で、定期的に払う養育費以外にも、矢沢さんなりの形で父親らしいことをしていたのです。

長男か次男も矢沢さんのライブ映像の販売会社に勤めていたそうです。

娘は歯科医になったとの噂があったので、しっかりと良い大学に進むまで面倒を見ていたことが分かります。

嫁のすみ子さんは長く矢沢さんの会社の役員を務めたそうですが、2008年から2009年に死去したと噂が出てから、何も新しい情報はありません。

事実だとすれば60歳になる手前に亡くなったということで、何か不運な病気か事故だったと予想されます。

矢沢永吉はすみ子と3人の家族にしたことを後悔?人生で一番幸せだった川崎での貧困時代

1990年にマリアさんと再婚した矢沢永吉さん。

世間では非常識な不倫の末の離婚だったということで、それなりのバッシングはありました。

離婚後、矢沢永吉さんは、下積み時代のすみ子さんとの新婚時代を懐かしみ、当時を人生で一番楽しい時間だったと懺悔していました。

「できれば、ぼくは何度も何度も戻りたいと思った。 いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいたとき、 すごい人間らしさがあったねキャロルをつくる前に女房とふたりで アパートに住んでいてね。どさんこラーメンに行くのが 唯一の楽しみで…それで浮島というところが川崎にあってね そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。 その時に長男がお腹に入っていたね。あの時代…。 この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して 最高の時だったね。悲しい話だけど…。」

お金はなかったけれど、夢や希望に溢れていたという時代。

自分だけ家庭のために尽くし、きっと劣等感もあったでしょうが、そんな時代が一番だったなんて、人生の答えなんて意外ですね。

おすすめの記事