昭和から平成初期に活躍したロックスター・尾崎豊さん。

1992年の4月に26歳の若さで亡くなってしまいました。

生きていれば、間違いなく平成を代表するスーパースターになっていたことでしょう。

死後も尾崎豊さんのカリスマ性は語り継がれ、現在も尾崎さんの死を巡って多くの諸説や都市伝説があります。

今日は”結局、尾崎豊の死因って何?””過去にあった陰謀説や諸説って何?”ということをまとめて書いてみたいと思います。

尾崎豊さんが亡くなった当時にメディアに報道された死因と、その後に発覚した死因、または憶測される死因はバラバラであります。

それぞれの死因の説を時間系列でまとめてみたいと思います。

世間に認知されている尾崎豊の死因は肺水腫か「外傷性くも膜下出血」。真相は違う?

尾崎豊さんが亡くなったのは1992年の4月25日です。

死去した翌日は各大手新聞社が一面で尾崎豊さんの死去を伝えました。

当時の報道では朝に全裸で酔っていた姿が発見されたことが強調され、お酒のトラブルであった雰囲気が強調されていました。

朝に全裸で発見→病院に搬送→自宅に戻る(暴れる)→再び病院に搬送され死去。←このような流れでありました。

そして、死因は極度の飲酒による肺水腫と報じられました。

現在でも尾崎豊さんの死因をネットで検索すると”肺水腫”とヒットします。

ただ、多くのファンが尾崎豊さんの死に関しては、もっと複雑な内情が絡んでいると信じています。

死後2年後の1994年に尾崎豊の司法解剖・「死体検案書」のコピーが流出し「外傷性くも膜下出血」の説浮上

尾崎豊さんの死因に関しては多くの人が肺水腫であると認知してると思います。

しかし、尾崎豊さんが亡くなった1992年から2年後の1994年に事態は急転します。

1994年に、なんと司法解剖の結果が記された「死体検案書」のコピーが外部に流出したというのです。

そして、その書類には尾崎豊さんの死因は「外傷性くも膜下出血」であると書かれていたそうです。

その後の尾崎豊さんの父親・健一さんと、実兄・康さんが警察に再検査を求めて署名運動を始めたのです。

結果的に1万人以上の署名を集めたとされてます。

尾崎豊に他殺・陰謀説。暴行跡や嫁・繁美との軋轢(不倫・宗教)

尾崎豊さんの死体検案書が外部に漏れて以降、遺族やファンが署名運動を行うなど大騒動になりました。

その当時、ある記者が嫁・繁美さんによる陰謀説を書いたことで、それを信じたファンが繁美さんに対して嫌がらせを行うこともあったそうです。

そんなこともあってか、繁美さんは当時小さかった息子と共に渡米し、アメリカで暮らすことを決断することになります。

尾崎豊の遺体写真が週刊誌に公開され暴行死の説

7年後にフライデーに、病院で蘇生されている尾崎豊さんの全裸の写真が載りました。

身体中、あざだらけ、傷だらけの尾崎豊さんの写真が世に出て、他殺説がより一層濃くなりました。

当時の噂では、嫁の繁美さんが尾崎さんと斉藤由貴さんとの不倫以降に恨み辛みを持ってお金目当てでハメたという説。

また、繁美さんが大手宗教の信者で、尾崎豊さんと父と兄も会員だったが91年に脱会したことで、一人だけ宗教に残った繁美さんが怒ったという説

ある週刊誌に裏社会の人間による”尾崎さんに薬を飲ませてフラフラにして暴行した”というインタビューが載った際には、それを信じる人もいました。

繁美さんによる陰謀説を唱えた記事を書く記者もおり、一部のファンをそれを信じていました。

「薬でボロボロの尾崎豊を嫁がわざと自宅に戻した」←実際は尾崎豊本人が”帰りたい”と発言

繁美さんによる陰謀説が強かった理由の1つに、ボロボロのだった尾崎豊さんを一度は自宅に戻したということです。

自分で呼吸するのが辛い状況だったということで、”ずっと病院にいれば、亡くなることもなかったかもしれない”と非難する声があったのです。

しかし、その後に病院側から尾崎豊さん本人が”帰りたい”と暴れていたという証言が出ており、繁美さんが強引に自宅に戻したという事実はなかったそうです。

その後に繁美さんは、自身に対する陰謀論を唱えた記者と裁判を行い、見事に勝訴し、身の潔白を証明しました。

尾崎豊の遺書内容で自殺説濃厚。他殺説・陰謀が嘘(薬物で自滅)

2011年に尾崎豊さん本人の遺書が公開されると、陰謀や他殺その説はすべてガセだったと判明しました。

尾崎豊さんの遺書の内容には「ずっと死にたかった」と、自殺を連想さす内容が書かれていたのです。

先立つ不幸をお許し下さい。

先日からずっと死にたいと思っていました。

死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、

そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。

(中略)

さようなら

私は夢見ます。

このような内容の遺書を常に持ち歩いてるセカンドバッグの中に入れていたということで、実に自死することを考えていたことが分かります。

さらに、息子に向けた遺書には、繁美さんの言うことをしっかり聞くようにと書かれており、とても離婚寸前の夫婦ではなかったことが分かります。

尾崎豊の息子・裕哉に向けた遺書。大人になるまで非公開

ちなみにこれの遺書を公開したのは、90年代から繁美さんを取材していたジャーナリストの加賀孝英さんという方です。

なぜ2011年に公開したのかというと、それは息子の年齢に関わります。

息子の裕哉さんは1989年生まれで、お父さんが死去した当時は2歳です。

2011年というのは、息子・裕哉さんが大人になった後です。

繁美さんは遺書を預けた加賀孝英さんに、息子が大人になるまでは世間に公開しないように約束していたそうです。

ちなみに遺書の内容は↓

私はただあなたを愛する名の神でありつづける。

皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。

と書かれていました。

ちなみに遺書を公開したジャーナリストの加賀さんは、長年尾崎豊さんの死の真相について追い続け、担当した医者からは”本人による自殺みたいなものだ”としっかりと聞いたそうです。

ちなみに尾崎豊さんが亡くなる20日前には、繁美さんと夫婦揃って睡眠薬を大量に摂って心中しようとしていたそうです。

死後すぐにそのような詳細を明言しなかったのは、まだ2歳だった息子の裕哉さんのためだったと思います。

はなわの従兄弟が尾崎豊の最後の姿を語る

ちなみに過去にバラエディ番組に芸人・はなわの従兄弟の「慶(けい)」さんが登場し、”尾崎豊の霊が自分に取り憑いてる”とは話し、尾崎豊さんの最後の姿を語り話題となりました。

慶さんの話によると、尾崎豊さんと自分は波長が合い、どこか通じていると。

過去、2回は繁美さん(尾崎豊の嫁)に会ったことあるそうですが、直感的に夫婦の間でしか使われていないあだ名を当てたりしたそうです。

そんな慶さんが知る尾崎豊さんの最後は、

病院のベッドの上で、何かを掴もうとして、間違えて繁美さんの頭を叩いてしまって、

”あー、ごめん”

というのが最後の言葉で、そのまま亡くなったとのことです。

そして、尾崎豊の霊は慶くんに「本当はありがとうって言いたかったのに、なんでゴメンって言っちゃったんだろう」と後悔してることを話したそうです。

どこまでが本当なのか分かりませんが、当時のファンが尾崎豊の話題が出るだけでも嬉しかったらしく、そこまで非難はされていませんでした。

この放送の後も、尾崎豊に取り憑かれてるキャラで売り出されるのかと思いましたが、その後はまったく見かけません。

はなわの従兄弟”慶”のプロフィール

名前:慶(はなわ兄弟のいとこ)
性別:女性。今は男性
年齢:出演当時は44歳
結婚:既婚。2児の母(長男と次男)
特技:勘(霊感がつよい)

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