SUPER BEAVERのボーカル・渋谷龍太さんといえば、東京都新宿区歌舞伎町出身として有名です。

渋谷さんが出身地の歌舞伎町といえば、アジア1の歓楽街と言われる街で、治安が悪いことでも知られています。

「歌舞伎町出身ってことは親がやばい仕事をしてるのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、渋谷さんの両親は普通の一般の方です。

渋谷さんの父親は、渋谷さんが生まれる前から新宿区で中華料理を営んでおり、決して特殊な仕事をしてるわけではありません。

今日は、渋谷龍太さんの実家の中華料理屋について書いてみたいと思います。

目次

渋谷龍太の実家が営む「昇龍」。地元の老舗中華料理屋

新宿区歌舞伎町育ちを明言するSUPER BEAVERの渋谷龍太さん。

実家は、新宿区新宿7丁目にある中華料理屋「昇龍」です。

1978年創業という老舗で、地元の人には知られた良店です。

店名 昇龍(しんりゅう)
ジャンル 中華料理
住所 東京都新宿区新宿7-12-25 ステージファースト東新宿 1F
電話番号 03-3203-9736
定休日 土日(2024年時点)
営業時間 11時半〜14時。17時半〜20時半

現在ではSUPER BEAVERファンの聖地。口コミも高評価

70年代に創業した渋谷龍太さんの実家「昇龍」ですが、口コミは高評価が多く、美味しいお店であることが確認できます。

SUPER BEAVERがブレイクして以降はファンが多く来店しており、ネット上では来店を報告する投稿が多く見受けられます。

店内にはSUPER BEAVERのグッズやポスターも確認されており、息子の実家であることはオープンにしてるようです。

ちなみにファンに人気の定番メニューは店主である父が息子・龍太さんのために考案したエビチリあんかけご飯です。

親子の思い出が込められた逸品ということで、多くのファンがこのエビチリあんかけご飯を注文するそうです。

味は甘辛で食べやすく、とても優しい味になっているそうです。

イベントで共演した縁で来店した乙武さんはこのエビチリライスを注文し、味の良さを絶賛していました。

ちなみに別名”ぶーやんスペシャル”とも呼ばれているようです。

長渕剛が来店したエピソードも!

渋谷龍太さんの実家「昇龍」には、多くの共演者が来店していますが、その中で意外性のある大物も来店したことがあることが明らかになっています。

2024年7月に出演したメディアで、長渕剛さんが来店したことを話し、即日ニュースになっていました。

長渕剛さんと渋谷龍太さんは対談で共演した際に、長渕さんに「龍太んちは何やってるんだ」と聞かれ、渋谷さんが「僕、実家中華料理屋です」と答えると、「今度食いにいく」と言い、本当に翌月に来店してくれたそうです。

長渕さんが来店する際、渋谷さんがお店の前でお出迎えして、店内まで案内したそうです。

長渕さんが注文したのはチャーハンで、それを龍太さんと父の3人で食べたそうです。

「本当に優しい方なので、そういうふうに言ってくれたんだと思ったら、翌月本当に来てくださって。父ちゃんと長渕さんと僕で父ちゃんの作ったチャーハン食うっていう」

お父さんは自分で作ったチャーハンを、あの長渕さんと食べたのですから不思議な体験だったでしょうね・・・。

長渕さんは対談以降から渋谷龍太さんのことを気に入っており、親交を深めた当初からSNSにツーショットを投稿し彼を絶賛するなどしていました。

2人の関係性の良さはファンの間では知られていましたが、実家のお店でチャーハンを食べていたのは意外だったようで、放送後はネット上で「あのお店にガチのVIPが?」など多くの反響がありました。

渋谷龍太の最終学歴は服部栄養専門学校。実家を継ぐ為に調理師免許を習得していた

実家が老舗の中華料理屋である渋谷龍太さんですが、本人も学生時代から漠然と将来は実家を継ぐものだと思っていたそうです。

渋谷さんは高校を卒業した後は調理師専門学校である”服部栄養専門学校”に進学し、そこで調理師の免許を習得しています。

しかし、渋谷さんは服部栄養専門学校在学中にバンドコンテストで優勝を果たし、その後にメジャーレーベルから声が掛かった縁で、音楽の道を志すようになります。

仮に、バンドコンテストに出場してなければ、今頃どこかのお店で修行して実家を継ぐ準備をしていた可能性があるということですね!

僕の家は新宿の中華料理屋で父がコックなんです。高校の頃は何も考えていなかったから、そのまま家業を継ぐんだなーと漠然と思っていて、高校卒業後に調理師の学校に行ったんです。はい、調理師免許を持っています、こう見えても真面目に授業受けていましたから(笑)。で、その調理師学校在学中に、バンドでコンテストに優勝したことがあって、メジャーレーベルから声が掛かってデビューしたんです。

ただ、渋谷さんの音楽人生は順風満帆ではなく、メジャー契約を打ち切られるなど、長い下積み生活を送ることとなります。

下積み時代は居酒屋で5年間バイトするなど、そこで調理師免許が生かされてたそうです。

渋谷龍太さんは対人関係の良さが好評ですが、それは長い社会人経験などから来てるんですね!

渋谷龍太にとっての歌舞伎町。生まれ育った良い街

渋谷龍太さんは世にも珍しい、新宿歌舞伎町に生まれ育った男です。

実家の「昇龍」が創業されたのは1978年で、渋谷龍太さんが生まれたのは9年後の1987年で、生粋の「歌舞伎町の家庭」で生まれ育ったということです。

渋谷さんは歌舞伎町で生まれ育った思い出について語ったことがあり、「治安は良くなかった」と断言しています。

それでも、悪の道に進むことはなかったそうです。

歌舞伎町で過ごした少年時代。おばあちゃんは大久保病院、映画鑑賞は「新宿ミラノ座」。

歌舞伎町といえば、悪い人や酔っ払いが暴れてるイメージがあり、とても地元の子供が遊べる場所ではないように感じます。

実際に渋谷さんのおばあちゃんが入院していたという大久保病院の前は、現在も女性の売り買いの聖地として知られ、危険なエリアの近くで生活していたことが伺えます。

また、子供の頃に映画鑑賞に訪れていたという「新宿ミラノ座」も、周辺で事件が多く起きるなど、子供が近づくには危ない場所です。

それでも渋谷龍太さんは、友人らと自転車で戸山公園まで遠出して遊ぶなど工夫していたそうです。

悪いことばかりではなく、高校2年の頃から歌舞伎町にある老舗ライブハウス「新宿LOFT」で本格派バンドの音楽を身近に触れるなど、現在の渋谷さんのアイデンティティに良い意味でも影響を与えていました。

渋谷さんの一度見たら忘れられない独自のファッションセンスも歌舞伎町のカルチャーを見て育った渋谷さんらしい個性の現れです。

渋谷さんの特技の1つに、職質の多さから警察の対応が上手いというのがありますが、これも歌舞伎町で培ったスキルだと思われます。

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