T-BOLANといえば2012年に突如、再結成ライブを遂行し、さらには2017年に本格的に再結成したことで話題になりました。
ボーカルの病気など様々なことを乗り越えた苦労の多いバンドでありますが、2021年8月にドラムでありバンドリーダーである青木和義さんが、一時活動休止することを発表しました。
青木さんの活動休止の影響でT-BOLAN自体も活動休止になることはないようです。
目次
青木和義が活動休止を発表。理由は実家家業(柿農業)を継ぐ為
T-BOLANのリーダーでありドラマーの青木さんですが、2021年8月27日のブログの中で、本日付けで音楽活動の休止を発表しました。
ロックバンドT-BOLANのドラム青木和義(54)が、27日をもって活動を休止すると発表した。バンドの公式サイトで「私、T-BOLANドラム青木和義は本日を持ちましてT-BOLANの活動を休止することをご報告させて頂きます。
長い間、T-BOLANを応援してくださっている皆様には多大なるご心配をお掛けしますことを本当に申し訳なく思います」と報告した。
コロナ禍が背景にあり、地元岐阜での家業を守るための「苦渋の判断」だったという。青木は「自分自身T-BOLANドラマーとして音楽活動を行っていく上で、一方で個人青木和義として地元岐阜にて、譜代から引き継いだ家業をこれまで両立してまいりましたが、昨今のコロナ禍の中、度重なるツアーの中止などを受け、これから先の人生を見つめ直す機会が増えました。
メンバーとも幾度も話を重ねてまいりましたが、苦渋の判断で家業を守るため当面の期間T-BOLANの表舞台の活動を休止することを決心しました」とした。引用元:Yahoo!ニュース
青木さんが音楽活動を休止する理由としては「代々続く家業を守るため」だそうです。
青木さん自身が更新してるブログの挨拶文を読んでみると、その決心の強さを伺えます。
青木和義のブログの挨拶全文
私、T-BOLANドラム青木和義は本日を持ちまして T-BOLANの活動を休止することをご報告させて頂きます。
長い間、T-BOLANを応援してくださっている皆様には多大なるご心配をお掛けしますことを本当に申し訳なく思います。
自分自身T-BOLANドラマーとして音楽活動を行っていく上で、一方で個人青木和義として地元岐阜にて、譜代から引き継いだ家業をこれまで両立してまいりましたが、昨今のコロナ禍の中、度重なるツアーの中止などを受け、これから先の人生を見つめ直す機会が増えました。
メンバーとも幾度も話を重ねてまいりましたが、苦渋の判断で家業を守るため当面の期間T-BOLANの表舞台の活動を休止することを決心しました。
今後は、地元岐阜に根付いた生活基盤設計に専念し、数年前から立ち上げた音楽やドラム演奏を楽しめる店の運営にも携わっていく所存です。
自分自身の思いで、長年一緒に歩んで来たメンバー、そして応援してくださったファンの皆様にご迷惑、ご心配お掛けすることを思うと、なんとも説明しがたい気持ちで胸がいっぱいになり、本当に申し訳なく思いますが、あたたかく見守っていただけたら幸いです。
T-BOLAN 青木和義(KAZ)
青木和義の出身・経歴プロフィール
名前:青木和義(読み:あおき かずよし)
生年月日:1966年11月13日
出身地:岐阜県本巣市
血液型:A型
担当:ドラム。リーダー。編曲。
17歳で上京
1987年T-BOLAN前進となるロックバンド プリズナーを結成。
第二回BADオーディション(being主催)でグランプリを獲得。
バンド名をT-BOLANに改名 1991年アースシェーカーのボーカル、マーシーをサウンドプロデューサーに迎え、悲しみが痛いよでT-BOLANメジャーデビュー。
T-BOLANでは「離したくはない」「 Bye For N ow」など数々のヒット曲を生み出す。
1999年解散
2012年再結成ライブ
2017年より本格的に活動開始。
青木和義の実家の家業(柿農園)と嫁と子供の存在
岐阜県出身の青木和義さん。
今回の活動休止の発表と合わせて、実家の家業のお仕事について知りたい方が多くいるみたいです。
家業の詳細については公表されていませんが、過去に表舞台から消えた際には、実家の岐阜県でバスの運転士をしていたとの情報がありました。
「え、青木さんの実家ってバス会社なの?」と勘違いしちゃいそうですが、違います。
青木和義さんの実家は柿農園であり、青木さんはその仕事を継ぐそうです。
青木さんはすでに結婚しており、子供もいるということで、音楽よりも安定した仕事を求めるのは当然だと思います。
ましては、このコロナ禍という状況でミュージシャンだけでなく、一般的な職業も安定しないご時世です。
今回の青木さんの決断は当然だと思えます。
青木和義が活動休止を発表したことへの反応
・若い人は誰この人?となるでしょうね。おじさんおばさん世代には本当に懐かしい。54歳で人生の舵を全く違う方向に切るのは大変かと思いますが、地元のためにというのが素晴らしいなと思いました。改めて年表を見ると、紆余曲折あったバンドだなぁ
・中学生の頃、大ファンでした。中1でファンクラブに入り、中2でコンサートも行きました。学校じゅうがT-BOLAN好きでしたね。私は「遠い恋のリフレイン」が好きです。森友さん、ギターの五味さんが好きでした。コンサートあるなら行きたいです。子供連れて行きます。私は41歳になり、子育て、仕事、コロナ禍、色々ありますが、最近特に中学高校で夢中になって聴いた曲をまた聴きたい。最近のミュージシャンは聴きたいバンドがいない。
・去年、ツアー途中でコロナにより中断。思うような活動が出来ないまま休止は残念です。家業を継がれるとのことで、お忙しいでしょうが、またどこかで再結成することを願ってます!
・森友さんと青木さんから始まったT-BOLAN。森友さん復活後、バンド活動再開後、T-BOLANの名前をいろんなメディアで目にするだけで泣きそうになります。LIVE HEAVENで魅せてくれたパワフルドラムが忘れられません。いつの日かまた4人のT-BOLANが見たいです。苦渋の決断、どうかお元気で。ありがとうございました。