フジファブリックのボーカル・志村正彦さんが亡くなって長い歳月が流れましたが、まだまだ彼のことを忘れられないという音楽ファンが多いです。

毎年、命日のクリスマスイヴになると、志村さんを追悼するコメントがSNSなどで流れます。

亡くなったのがつい昨日のように思えるような寂しさがありますね。

そもそも志村さんの死因はなんだったのか?

そして現在もある志村さんに対する疑問や噂について書いてみたいと思います。

目次

志村正彦の死因「病名不詳」。不健康な食事と酒と不眠症

志村さんは、2009年12月24日に突然この世を去りました志村さんが亡くなった当初、死因ははっきりとされませんでした。

人気ロックバンド・フジファブリックのボーカル&ギターの志村正彦さんが24日、29歳の若さで急逝した。バンドの公式サイトで25日付で発表されたもので「検査の結果は病名不詳」、所属レーベルも「現時点ではサイトに載っているものが全ての情報です」としている。葬儀は近親者のみで執り行う予定。引用:オリコン

当時から志村さんの死因を巡ってはさまざまな憶測がありました。

亡くなった月初めの12月、志村さんの体調はとても良かったそうです。

しかし、長く応援していたファンは、当時の志村さんがガリガリに痩せていたことに違和感を抱いていたそうです。

当時から志村さんは偏食家として知られ、過去には「主食はミンティア」との発言もしていました。

また、極端に睡眠時間が短く、「睡眠時間2時間くらい」と語っていたこともあります。

志村正彦が亡くなった前日と当日。第一発見者はマネージャー

偏った栄養しか摂取しておらず、さらには睡眠時間も短かった志村さん。

亡くなった日の直前に開かれた飲み会では、泥酔していて当時の彼女に家まで送ってもらったそうです。

お酒の量もすごかったということです。

そして、次の日にマネージャーが自宅のパソコンの前で亡くなっている志村さんを発見したということです。

ファンの間では多忙なライブスケジュールによる過労と、偏食に夜栄養失調、それに大酒が祟ったのではないか?との憶測が強いです。

その一方で、亡くなった2009年の時点で志村さんはすでにお酒を控えており、前日の23日に大酒を飲んでいた説はガセだという意見もあります。

志村正彦という天才を産んだ実家。山梨県富士吉田市で個人商店を経営【現在閉店】

20代にして多くの同業者からリスペクトされていた志村さん。

先輩のミュージシャンからも「天才」と太鼓判が押されるほどの逸材でありました。

そんな志村さんの出身、育ちが気になったので調べてみましたが、決して音楽の英才教育を受けていたという訳ではなかったようです。

志村正彦さんは山梨県富士吉田市に生まれました。

小学生の頃から野球に励み、音楽の方は中学生の頃に奥田民生さんのライブを観たことがきっかけで興味を持ったそうです。

高校生の頃は勉強はほとんどせず、コピーバンドを結成し本格的な音楽活動を開始しました。

そして、2000年に「フジファブリック」を結成し、インディーズで活躍し、その後のデビューに至ります。

かなりあっさりとした経歴であります。

ライブのMCでいつも「山梨県富士吉田市から来ました!」と挨拶をしており、地元に誇りを持っていました。

志村さんのご実家は「志村商店」という食料品や雑貨を売る個人商店を営んでいました。(現在は閉店)

ファンからは聖地として知られ、命日前後には多くのファンが寄ったそうです。

現在は閉店となっていますが、ファンの心の中に永遠と残るお店であります。

志村正彦に付属する2つのキーワード「椎名林檎」「むくみ」

志村正彦さんが死去されて10年以上の歳月が流れましたが、ネット上で志村正彦さんに2つの謎のキーワードが登場します。

それは大物女性アーティストの「椎名林檎」さんの名前と、「むくみ」のキーワードです。

ちょっと調べてみると、「もしかして!?」と思い当たる節があったので、簡潔に書いてみたいと思います。

椎名林檎と志村正彦に交際の噂?参列もしていた!(嫁ではない)

今になっても人気が衰えない東京事変のボーカルであるソロミュージシャンでもある椎名林檎さん。

志村正彦さんの名前で検索すると上位で名前が登場する彼女ですが、生前特別な関係にあったのでしょうか?

調べてみると、一時期、交際していたと(噂程度ではありますが)。

フジファブリックのアルバム「FAB FOX」にはスペシャルサンクスとして椎名林檎さんの名前が載せられていたり、亡くなった年に椎名さん率いる東京事変が年末のCDJに登場した際、葬式の時に使われる鯨幕(白黒の幕)のような衣装で登場し、追悼の意味があったのでは?とされています。

(東京事変のメンバーも白黒の衣装でした)

その後にナタリーのインタビューで椎名さんは、

志村くんが亡くなってすぐに出演したフェスで「ありあまる富」を歌わなければいけないことがすごくつらかった。だって、要するにこの曲は「死んだらおしまいよ」って言っているようなものだから。

と語っているので、追悼の意味があったのは事実であったとされてます。

この「ありあまる富」の歌詞の意味では、生きてる限り富は増え、お金で買える物は失うから本当の富とはいえない、とにかく生き続けていれば豊かになるというような内容のでした。

ちなみに志村さんが椎名さんと婚約してたり、結婚していたという事実はありません。噂が大きくなってそう勘違いしてる人もいたみたいです。

「むくみ」のエキスパートが志村正彦氏の死去を追悼?

業界にも多くのファンを抱えているフジファブリック及び志村正彦さんですが、実はある整体師の方が、志村正彦さんが死去された際に熱烈な追悼記事を書いていたのです。

亡くなった当初に志村正彦さんのことについて調べたファンが、そのブログを発見し注目し、亡くなった後になっても定期的に見に行ってるのではないか?というのが憶測です。

その整体師は足のむくみを解消するエキスパートであるかのような方なので、志村正彦さんと合わせて「むくみ」というキーワードがついたのかな?と。

ちなみにその方が志村正彦さんが亡くなった後に書いた記事の内容は、

今年もサマソニのバックステージでアーティスト
の治療をしましたが、
縁あって、フジファブの金澤ダイスケさん
(キーボード)を治療しました。
治療しながら色んな話もしました。

志村さんは来ていませんでしたが、

もしも、もしも、来ていただいていたとして、

体を拝見して、何か今回の突然死に関わる何かが
そのときに発見できていたんではないか?

何らかのサインが体から発せられていなかったか?
それに気づいて、何か予防的なアドバイスが
出来たんではないか?

誰かが亡くなられて、
全て、後で思うこと。

たら、れば、です。
残念です。

あの様な奇才はいまの日本の音楽界には希少でした。

ホンモノが少ない。
妥当な線ばかり狙うセールス主義の J-pop
カラオケ受けばかり考える業界

そんな中でデビュー当時から「フジファブ」は
抜きん出ていました。

こういった大ヒット狙いからは除外されるバンドが、
よくメジャーいけたな~~、と
当時は思っていました。

引用:アメーバブログ

なんと、志村さんのマッサージを担当したこともあったということで、ただのファンではなかったみたいですね。

志村さんを懐かしむファンが、定期的に縁のあった整体師の方のブログを見に行きたくなる気持ちもわかります。

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