吉永小百合さんとえば、60年から活躍を続けているベテランの大女優です。
昭和の時代から令和まで活躍を続けた女優さんですが、若い頃の吉永さんの美しさや可愛らしさを知らない若者が多くいます。
若い頃からの吉永小百合さんの経歴を振り返ると、生まれも育ちも壮絶であります。
今日は吉永小百合さんの若い頃からの功績と、可愛らしさ、美しさ、そして生い立ちについて書いてみたいと思います。
さらには20代の頃に噂になった俳優の渡哲也さんとの関係と、現在の旦那である岡田太郎さんとの出会いから結婚までも書いてみたいと思います。
目次
吉永小百合の若い頃。10代から20代までの経歴(年齢順)
1945年3月13日 | 0歳 | 東京都渋谷区で誕生。(戦時中)。 |
1951年 | 6歳 | 東京都渋谷区立西原小学校入学 |
1957年 | 12歳 | 東京都渋谷区立代々木中学校入学 |
1957年 | 12歳 | ラジオ東京の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。同年にテレビデビュー。 |
1959年 | 14歳 | 松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。 |
1960年 | 15歳 | 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。日活撮影所に入社。 |
1961年 | 16歳 | 私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属市原望洋高等学校)に転入。 |
1962年 | 17歳 | 映画『キューポラのある街』に主演。同年の主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。精華学園女子高等学校中退。 |
1964年 | 19歳 | ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位 |
1965年 | 20歳 | 早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。 |
1966年 | 21歳 | 映画「愛と死の記録」で渡哲也と共演し、後に熱愛関係。 |
1967年 | 22歳 | 映画「青春の海」で渡哲也と2度目の共演。 |
1968年 | 23歳 | ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位 |
1969年 | 24歳 | 早稲田大学を卒業。2年連続でブロマイドの年間売上実績で女性部門1位。映画「嵐の勇者たち」で渡哲也と3度目の共演。両親の反対で渡哲也を破局。 |
1971年 | 26歳 | 後に結婚する岡田太郎と出会う。 |
1973年 | 28歳 | 岡田太郎と結婚する。 |
吉永小百合のプロフィール。三姉妹の次女で親はエリート
芸名 | 吉永小百合 |
本名 | 岡田小百合 |
生年月日 | 1945年3月13日 |
出身地 | 東京都渋谷区 |
血液型 | O型 |
身長 | 155センチ |
既婚・夫 | 1973年28歳で結婚。旦那は岡田太郎 |
職業 | 女優・歌手 |
出身小学校 | 東京都渋谷区立西原小学校 |
出身中学 | 東京都渋谷区立代々木中学校 |
出身高校 | 東京都立駒場高等学校から精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に転校。(多忙で中退) |
出身大学 | 早稲田大学『第二文学部』。西洋史学を専攻し馬術部に所属。成績優秀者として表彰。 |
父親 | 吉永芳之(享年79歳)。東大法学部卒。九州耐火煉瓦→外務省関係→映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行(倒産)→吉永小百合のマネージャー |
母親 | 吉永和枝(享年90歳)。歌人。ピアノの教師。祖父・川田友之は出版社「大観社」を経営。祖母・川田泰代は婦人画報の編集長。 |
姉 | 東京教育大学(現・筑波大学)→都庁→児童心理カウンセリングの世界で女性管理職 |
妹 | 東京芸術大学を卒業。小学校の先生。 |
吉永小百合は小学生でブレイクし家族の大黒柱になる
吉永小百合さんが誕生したのは1945年3月と戦時中。
父も兵隊に取られており、当時はとても苦労したそうです。後にひめゆり関係の映画に出演したり、靖国を訪問したのはこの当時の悲しさの影響です。
吉永小百合さんの父は薩摩藩の末裔で、母の実家は出版関係者が多くおり、吉永小百合さん本人も早稲田大学の第二文学部を卒業するなどお嬢様のエリートのイメージが強いです。
しかし、吉永さんの幼少期はとても貧しく、父が創刊した雑誌が廃業したせいで多額の借金を背負い苦労しています。
税務署が家の家具に札を貼りに来た際は、吉永さんはハタキを持って職員に立ち向かったそうです。また、貧しい我が家を気の毒に想い新聞配達の仕事をしたいと申し出たこともあったそうです。(親に反対されダメだったそう)
吉永小百合さんは三姉妹の次女で、姉妹の中でも一番の美人です。
次女といえばワガママなイメージがありますが、吉永さんは自分よりも家族のことを優先する、とても心優しく頼もしい少女でした。
吉永小百合さんが小学6年生の頃ににラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューをすると、その後は家族の大黒柱になりました。
子供の頃から一際目立って美人だった吉永小百合さん。
ラジオドラマのオーディションで一緒になった藤田弓子さんは、
(オーディションの)最終審査に行ったら、女の子が一人いて、それが吉永小百合ちゃんだったの。もうめちゃめちゃキレイで可愛くてね。
母と2人で「1人しか選ばないんだから、これはもうダメね。帰りましょう」って帰ろうとしたらラジオの人が飛び出してきて「弓子ちゃん、これはラジオですよ。ラジオ」って言って止められたの。ラジオだと顔が見えないからね(笑)
小百合ちゃんは何て言ったって天下の美少女で、私ははっきりしゃべったのとマイクに乗る声だったんでしょうね。2人とも受かったんですよ。
当時、藤田さんは小学生だった吉永小百合さんの圧倒的な美少女感に母親と共に圧倒され、”自分らはどうせ不合格だから”と帰ろうとしたほどです。
若い頃の吉永小百合の圧倒的美しさ。芸能人にも多くのファン(サユリスト)
現代になっても定期的にネット上で若い頃の吉永小百合さんの画像が拡散され、今の若い子らにも”可愛い””今の芸能界にいたら頂点”などもてはやされています。
それほどに美しかった若い頃の吉永小百合さんですが、現在の芸能界にいる方にも、学生時代に憧れたという方が多くいます。
当時から吉永小百合さんのファンのことを”サユリスト”と呼んでいたのですが、有名な方でタモリさん・綾小路きみまろさん・野坂昭如さん・内藤陳さん・プロ野球選手の小宮山悟さんなどがいます。
特にタモリさんと小宮山さんは、早稲田大学に進学した理由に”吉永小百合と同じ大学だから”と挙げるほどです。
10代の頃に女優デビュー。清純派女優の元祖
吉永小百合さんは小学生の頃にラジオドラマでデビューされました。
実はラジオドラマでデビューした直後(12歳)に、すぐに映画「朝を呼ぶ口笛」で女優デビューも果たしています。
年齢からすると、子役に近いキャリアですね!
女優としての初主演もわずか15歳というのが驚異的です。
↑当時の姿をカラーにした写真がありますが、驚くほど可愛くて美しいです。
15歳で「ガラスの中の少女」でデビューすると、すぐに人気者となりました。
17歳の頃には映画『赤い蕾と白い花』で主演を務め、またその作品の主題歌『寒い朝』でレコードデビュー。20万枚のヒットを記録し、歌手としても大成功しました。
19歳の頃にはプロマイドの年間売り上げランキングで1位を獲得するなど、多才な魅力と絶対的な美しさで時代を作りました。
10代にして国民的な美女として名を馳せて、女優・歌手としても成功していたということです。
あどけない魅力のある10代も素敵で、その後に洗練されていく20代の吉永小百合さんも素敵です!
吉永小百合は20代で本格派女優に。大人の女性としての色気
10代で国民を代表するアイドルになった吉永小百合さんですが、20代ではきっちりと女優としての評価を上げます。
吉永小百合さんは20代になると、お母さん役や悪い女の役も演じることができるようになります。
私生活では清純派のイメージが壊れないように努力し、女優業では様々なタイプの女性を演じ、まさにカメレオンのような女性でありました。
後に詳細を書きますが、吉永小百合さんは20代で世紀の大恋愛、失恋を経験し、結婚もしてます。
たくさん傷つき、幸せになったということで、女性としての洗練が磨かれたということです!
多くのサユリストの方が、20代の頃の吉永さんを全盛期だと言いますが、そう言われても納得の美しさですね!
30代の吉永小百合の母性的美しさ!
20代で女性としての色気を手に入れた吉永小百合さんですが、30代では母性的な魅力も芽生えました。
男性が甘えてしまいたくなるような優しい眼差し、そして相変わらずの美しさ。
作品では意志の強い働く女性を演じることも増え、多くの女性が吉永小百合さんのようなかっこいい女性になりたいと憧れました。
10代の頃から30代まで、世の女性のメイクや髪型に影響を与え続けたカリスマ性は本物だったと思います。
吉永小百合さんほど長期間に渡って美の象徴、美しさのアイコンに君臨し続けた女性はいません。
その後、40代、50代、60代になっても年相応の美しさと魅力を持ち続けた吉永さんの美貌は、正真正銘の本物だったといえます。
渡哲也と吉永小百合の昔の関係。結婚を意識も両親の反対で破局
若い頃は長く清純派のイメージを保ち続けた吉永小百合さんですが、1つだけ目立ったスキャンダルがありました。
それは、俳優の渡哲也さんとの熱愛報道です。
吉永さんと渡さんの馴れ初めは、互いに同じ映画で共演したことです。
21歳の頃に映画「愛と死の記録」で共演し、その後に「青春の海」「嵐の勇者」など立て続けに共演しました。
熱愛の噂が出る前から、映画スタッフの前でもラブラブで、作品に関わっている人であれば誰でも二人が交際してることは明らかだったそうです。
二人の交際は日本中に知れ渡り、世紀の大カップルだと応援されていましたが、1969年に破局してしまいます。
破局の理由は渡哲也さんと吉永小百合さんの両親の反対でありました。
吉永小百合と渡哲也が別れた理由は引退を賭けた反対
誰が見ても結婚秒読みとまで言われていた渡哲也さんと吉永小百合さん。
しかし、1969年に二人は破局してしまいます。
破局の理由は、渡哲也さんが実家に吉永小百合さんを連れて行き挨拶した際、渡さんの親から女優業から引退することを結婚の条件に出されたのです。
当時、吉永さんのマネージャーであり父であった芳之さんが激怒。
交際はいいが結婚はダメ
と大反対し、お母さんも、
結婚したら相手を絶対に許さない
結果的に吉永さんの母親も結婚に反対したのです。
最終的に吉永さんは自分の両親の意見に乗り、渡哲也さんとの将来を諦めたということです。
後に渡さんは当時の吉永さんの判断について、
何で俺のところに飛び込んできてくれないんだ
と寂しげに語り、親の言うことなど無視して突っ走りたかったとしてます。
吉永さんも渡さんとの別れがとても辛かったことを後に述べています。
両親を説得できなかったんです。だから(渡と)直接会って、「あなたとは結婚できません」と伝えました。涙が止まりませんでした。それで別れたんです。
その後、両ファンの間で、「もし吉永小百合と渡哲也が結婚していれば?」という話が出るほどに、二人の破局は本人もファンも悲しい想いをしました。
渡さんと別れた吉永さんは、同年の年末に傷心旅行としてパリに向かうなど、精神的に相当堪えていたようです。
それだけ、渡さんとの将来を真剣に考えていたということですね。
吉永小百合と旦那・岡田太郎との出会いと結婚。子供は作らない約束?
結婚を真剣に考えていた渡哲也さんと別れてしまった吉永小百合さん。
当時、仕事は波に乗っており、過密スケジュールで傷を癒す暇もなかったそうです。
そんな中、破局した2年後の1971年に渡哲也さんが青山学院の同級生・俊子さんと結婚すると、吉永さんのメンタルに追い討ちをかけます。
やがて吉永さんは心身とも仕事ができる状況ではなくなり、声が出なくなるほどメンタルが蝕まれました。
そんな時期に出会ったのが、現在の夫で、当時はフジテレビのプロデューサーだった岡田太郎さんです。
当時、岡田さんは声が出ない症状に苦しむ吉永小百合さんに対して、
「声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ」
と優しく見守ってくれたそうです。
吉永さんは岡田太郎さんにたくさんの治療法を提案されるなどして支えられ、声を取り戻すことができ、とても深い愛を感じたそうです。
やがて岡田さんに恋心を抱くようになった吉永さんですが、結婚に対しては岡田さんの方から、「結婚は大変だよ」と「女優は独身の方が有利だから、このままでいい」と止められていたそうです。
吉永小百合と岡田太郎の結婚に家族や関係者は反対
声が出ないほどに苦しんでた吉永さんを救った岡田太郎さん。
吉永さんと恋仲になるまでは、そう長くなかったそうです。
二人は吉永さんの父でマネージャーだった芳之さんの目を盗んで、岡田さんの職場のフジテレビから近い飲食店やホテルでデートを重ねる日々だったそうです。
やがて、結婚を意識して周囲に話すと、岡田さんがバツイチであること、15歳も年上であることが猛反対されたそうです。
それでも吉永さんは周囲の反対を押し切って、岡田太郎さんと結婚を果たしました。
実家家族のしがらみで渡哲也さんを失ったことが教訓になり、吉永さんは家族の反対を無視したということです。
後に吉永さんは岡田さんの結婚について、
親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。それが苦しくて。(中略)だから結婚することで家を出て、名前を変えることで親から離れようと思いました。
と、当時に毒親化していた実家家族から離れることが、自分にとって最優先だったと語っています。
ちなみに吉永さんの母は1976年に「母だから女だから」を出版し、そこで娘を奪っていった岡田さんへの憎しみを綴っていました。
岡田太郎と吉永小百合の子供。結婚直後は噂も現在もいない。当時は噂だけで脅迫状
吉永小百合さんは岡田太郎さんと結婚を果たすと、すぐにハネムーン旅行に出掛けました。
当時、吉永さんが岡田さんの子供を授かっているという噂が出て、吉永さんのファンから脅迫状も届いたそうです。
吉永さんが結婚後に活動休止を発表していたことに対しても、”僕らの小百合を返せ!”と熱烈なファンを煽ってしまったそうです。
ちなみに吉永さんが結婚後に女優業をお休みした理由は、”普通の嫁さん”になるためです。
お料理教室に通って理、嫁さんに必要な勉強をしっかりとされたそうです。
そして、子供を妊娠してるというのはガセネタで、吉永さんは現在までに子供は出産していません。
吉永さんは岡田さんと”結婚しても子供を作らない”と約束してるそうです。
吉永さんはあるインタビューで子供を産まない理由について聞かれ、
「映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です。」
と応えています。
普通の結婚生活を望む反面、女優としての生き様は頼もしいです。
吉永小百合の旦那・岡田太郎の病気と現在。自宅はバリアフリー
吉永小百合さんが結婚した岡田太郎さんは15歳年上です。
健康面で、色々と覚悟があるようで、ある時期に前もってバリアフリーの自宅を購入されています。
バリアフリーの自宅を購入した際、その間に住めるようにと、もう一軒、吉永さん好みの自宅も購入されたそうです。
2014年に吉永さんの夫・岡田太郎さんが肝臓の病気で危篤状態に陥ったことがありました。
岡田さんは無事に退院したそうですが、岡田さんはバリアフリーの自宅に戻り、吉永さんは建設の際に購入したもう一軒の自宅の方に住んでいたそうです。
一見、ただの別居状態のように見えますが、実際はただ吉永さんが別の自宅を気に入ってしまっただけで、決して夫婦仲が悪くなったという理由ではなかったそうです。
現在でも岡田太郎さんは健在で、毎日吉永さんの手料理を楽しみにしてるそうです。
岡田さんは小百合さんの手料理が日々の楽しみのようです。特にかつお出汁の味噌汁が欠かせないそう。それから小百合さんは酒の肴が得意で、例えば、いただき物のカラスミでも、手作りの梅酢につけたり、一手間をかけるようです。
そして、今では同じバリアフリーの自宅で仲良く暮らしてるそうです。
最後の最後に吉永小百合さんに看取ってもらえるなんて、男として最高の人生ですね。