安井雄太の犯罪と事故。芋虫の理由。現在は結婚?お墓の報告で死去説

今でもネット上で話題となる”安井雄太さん”

彼は2003年にテレビで取り上げられた手足のない元非行少年です。

放送されたドキュメントは賛否両論ありましたが、現在では「イモムシ」というあだ名で呼ばれるなどネガティブな印象の方が強いです。

続編がなったことで、その後の安井雄太さんの行方が度々話題となります。

「結婚してる」「在宅の仕事をして引きこもりをしてる」「亡くなってる」など多くの噂があります。

今日はテレビで放送された安井雄太さんの詳細と、その後にネット掲示板などで話題になった噂などをまとめてみたいと思います。

目次

安井雄太とは?TVで特集された手足を失った青年。母と兄が介護に奮闘

安井雄太さんとは2003年6月1日に日本テレビ「NNNドキュメント」で放送された、事故によって両手足を失った少年です。

番組では安井雄太さんの事故前の不良少年時代や、手足を失ってしまった事故について紹介されました。

ドキュメントが放送された後、当時の2ちゃん(現在の5ちゃんねる)で大きく話題となりました。

放送から何年経ってもネットで話題に上がり、当時から現在まで様々な噂が流されていました。

安井雄太は東京都江東区の集合住宅に母と兄と3人で暮らす。父はギャンブルと借金で離婚

安井雄太さんの両親は、彼が小学生になる手前に父のギャンブルと借金が原因で離婚していました。

離婚後に母・弓子さんが安井雄太さんと兄貴を引き取り、母子家庭で育てました。

ドキュメントでは母と雄太さんと兄貴と3人で東京都江東区の集合住宅で暮らす様子が放送されており、生活は決して裕福ではなかったことが伺えます。

母は3人の兄弟を育てるためにシングルマザーで働きましたが、末っ子の雄太さんはグレて悪の道に進んでしまいました。

名前 安井雄太
年齢・生年月日 1984年(2023年時点で39歳)
出身地 東京都江東区
出身中学 東京都江東区立大島中学校
出身高校 都立墨田工業高校(自主退学)→都立東高校定時制(19歳で再入学)
家族 母親。3人兄弟の末っ子

安井雄太さんは中学時代から非行行為がエスカレートし、高校に無事に進学するも、すぐに自主退学してしまいます。

兄貴・和也さんとは彼が不良の道に進んだことで険悪になり、母親に対しても長く反抗的な態度で接していました。

それでも雄太さんが事故によって介護が必要になると、バラバラになっていた家族関係は徐々に回復していったのです。

兄・和也と母・弓子が安井雄太を介護。電動車椅子やパソコンを買い与える

事故で両手足を失った後は、同居していた母と兄が雄太さんの介護に勤しみました。

母親は雄太の気持ちが少しでも明るようにと、部屋にキティちゃんグッズをたくさん置くなど工夫しました。

また、雄太さんが孤独にならないようにとパソコンを買い与え、ドキュメントの中には雄太さんがネットでコミニュケーションを取る姿もありました。

兄貴の和也さんは主に力仕事を担当し、雄太さんをお風呂に入れるなど協力していました。

レンタルショップで雄太さんが借りたいDVDを選んであげるなど、雄太さんの気持ちに寄り添った介護をしていました。

兄の和也さん曰く、雄太さんとは元々性格が似てる部分があり、彼がして欲しいことが直感的にわかるそうです。

安井雄太が手足を失った大事故。車内でシンナー吸引。”イモムシ”のあだ名の理由は過去の犯罪行為

安井雄太さんは何故両手足を失ってしまったのか?

その理由は”ガス爆発”です。

雄太さんは車の中でライターのガスでシンナーを吸っていた際に、何らかの火気で車ごと大爆発するという大事故を起こしたのです。

安井雄太さんは全身の70%を火傷し1ヶ月以上も昏睡状態が続きました。

奇跡的に回復しましたが、感染症を防ぐために手足を切断するしかありませんでした。

こうして安井雄太さんは両手足を失いました。

過去に万引き・恐喝などの犯罪行為やいじめ。”イモムシ”と言われネットで叩かれる

現在でも雄太さんの両手足を失い、火傷のあとも残っている姿はインパクトが強く、ネット上でも話題になります。

今では「イモムシ裕太」は「検索してはいけないワード」として語り継がれています。

”芋虫”という形容に関しては、とても不謹慎で失礼な言葉だと思いますが、それは当時の一部の視聴者が放送後にネット上で雄太さんのことをネガティブに書き込んだ既に生まれた言葉です。

雄太さんは不良時代に万引きやバイクの窃盗、無免許運転など酷い犯罪行為を繰り返してました。

学生時代にはいじめをしていた過去もあり、雄太さん自身が「自分のやってきたことが自分に返ってきた」と自覚し、反省する姿もありました。

さらにドキュメントの中では夜中に安井裕太さんが”体が痒い”と母を起こし掻いてもらおうとしますが「いいよ電気つけなくて」「もっとパンツあげて」と言うシーンがありました。

また、雄太さんを車椅子からベッドに戻す際、雄太さんと母親が言い争いをするようなシーンもありました。

これらのシーンが”母親に悪態をついてる”と見なされ、ネット上で叩かれ”芋虫”などいう形容に繋がってしまったのです。

ドキュメントをよく見ると激しい言い争いはなく、普通の親子の会話で、特にベッドに降ろすシーンは雄太さんが母親の体力を気遣っただけのシーンです。

当時は動画サイトなどなく、リアルタイムで観た一部の人の偏見に満ちた悪意あるコピペが永遠と拡散され続けたのです。

安井雄太の現在。定時邸高校卒業→就職→結婚?自殺説が強く残る・・・

気になるのは安井雄太さんが現在どうしているのか?ということです。

初回の放送後に続編はありません。

ブログ・SNS・YouTubeが流行った時代に彼のアカウントが発見されることはなく、消息不明となっています。

2003年に放送された内容では、真面目に勉強を始め定時制の高校に再入学するという場面で終わりました。

障害のある手にベルトでペンを巻き付けて勉強する姿は、”第二の人生に向かいたい”という強い意志を感じました。

放送の最後では、健常な生徒たちと同じ教室で机に向かっている姿があり、その後は順調に卒業したのでは?と期待されました。

その後の安井雄太さんはネット上で叩かれもしましたが、”頑張って就職して在宅の仕事をしてるのでは?””結婚して子供を大切にしてるのでは?”という期待を込めた噂もありました。

安井雄太は自殺した?友人が掲示板で葬儀や墓の情報を明記。”確認した”の書き込みで信ぴょう性が上がる

2003年の放送終了後から何も情報がなかった安井雄太さん。

2005年頃から動画サイトなどで安井雄太さんのドキュメントがアップロードされると、再度ネット上で話題となりました。

安井雄太さんの近況に関しては、憶測や噂話しかなく、どの説も信ぴょう性がありませんでした。

しかし、2008年に安井雄太さんの友人を名乗る方が掲示板に書き込むと事態は一変しました。

友人の書き込みによると、安井雄太さんは2004年上旬に、21歳の若さにして自宅近くの川に飛び込んで自殺したとのこと。

元々、ネットの噂で亡くなった説はありましたが、”舌を自分で噛んだ””感染症が酷くなった”という内容がほとんどで、川に飛び込んだという情報は寝耳に水でした。

さらにお別れ会東京都江東区北砂の「カルチャーパビリオン・平安・北砂館」で行われたこと、お墓が東京都江戸川区東小松川の”永福寺”(その後”宝賓院”)にあるとまで書かれました。

当初は半信半疑の反応でしたが、あるユーザーが実際にお墓のある寺に訪れると、名前があったと報告し、自殺説は一気に真実味が増しました。

その後に飛び込んだ川が、ドキュメントで安井雄太さんが事故前の友人らとの思い出の場所として訪問した荒川だったのでは?という憶測が出ました。

また、友人の書き込みによって、安井雄太さんが不良時代に、盗んだバイクを持ち主に働いて弁償したなどというエピソードもあり、実は根は腐っていなかったとの肯定的な意見も出ました。

今では再びネガティブな意見が飛び交っていますが、当時は一瞬だけ安井雄太さんに同情する声もあったのです。

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