ビートたけしさんといえば、2019年に40年付き添った最愛の妻と離婚したことで話題になりました。

離婚して落ち込んだかと思えば、離婚して1年後の2020年にはすぐに愛人として交際していた女性と再婚しました。

考えてみれば、80年代のフライデー襲撃事件の発端になった女性も愛人でしたし、90年代のバイク事故の時に噂されていた女性も愛人でした。

たけしさんは1979年に前嫁の幹子さんと結婚し、2人の子供に恵まれていますが、その後の結婚生活はかなり自由奔放でありました。

世間からは浮気や不倫がバッシングされることなく受け入れられていました。

たけしさんは前々から独特な結婚観、芸人としての哲学を持っていましたが、その考えは何の影響だったのでしょうか?

ビートたけしさんの妻子気にせず遊び続ける価値観について色々調べてみると、25歳のエレベーターボーイ時代に出会った師匠・深見千三郎さんの存在がデカかったことがわかりました。

今日はビートたけしさんの前と現在の嫁、そして前嫁との間の子供、愛人との隠し子、養子縁組として受けれいれた子供全員について書いてみたいと思います。

目次

ビートたけしの元嫁・幹子。今嫁は事務所のマネージャーで元愛人?

下積み時代は全くモテなかったというたけしさん。

それでも結婚した相手はツービートで漫才ブームを起こす手前に知り合い、交際した女性でした。

ビートたけしさんが相方・ビートきよしさんとツービートを結成し、漫才ブームを起こしたのは1980年代前半ですが、たけしさんが結婚したのは1979年です。

初婚の相手は女流漫才師「ミキ&ミチ」として活躍していた幹子(みきこ)さんです。

二人の馴れ初めは1978年です。

当時「ツービート」として演芸番組「大正テレビ寄席」に出演した際、アシスタントのアルバイトをしていた幹子さんと知り合い、交際に発展したのです。

交際に発展してすぐに幹子さんは漫才を引退し、近所のスナックでアルバイトをしながら、たけしさんの下積みを支えたのです。

松田幹子(ビートたけしの最初の嫁)の経歴・プロフィール

名前:松田幹子(みきこ)
生年月日:1951年
芸名:「司ミキ」「内海ミキ」
学歴:武庫川女子大学短期大学
職業:元漫才師。コンビ名「「ミキ&ミチ」
師匠:「ピンアップトリオ」のピンアップ敦子。前田五郎。内海桂子。内海好江。
子供:長男。長女。
旦那:ビートたけし。

2019年にたけしと幹子は離婚。翌年2020年に事務所のマネジメント女性と再婚

2019年にたけしさんが40年以上連れ添った幹子さんとの離婚を発表すると、世間は驚きました。

実は第一子が生まれた1980年の時点で、二人は離婚の相談をしていたそうです。

たけしさんは”そもそも婚姻届を勝手に出された”など冗談を言ったりと、夫婦仲はグラグラしていたそうです。

それでもたけしさんの誕生日である1月18日には自宅にたけし軍団を招いて手料理を振る舞ったり、「ひょうきん族」では夫婦揃っての漫才を披露するなど、夫婦仲はずっと冷え切っていた訳ではなかったようです。

離婚する前に、すでに財産分与は終えていたようで、たけしさんは”金がない”と嘆いていました。

2019年に幹子さんと離婚してしまったたけしさんですが、その僅か1年後の2020年に、自分の新しい事務所のマネジメントを務める女性と再婚しました。

たけしさんと現在の嫁さんは、離婚する遥か前の2013年から交際をスタートさせていました。

以前の事務所では嫁であった幹子さんを代表や幹部にしていたので、新しい嫁さんも元々は愛人のような関係だったと言われています。

ビートたけしの子供が4人と言われる理由。娘と息子と隠し子・養子縁組

ビートたけしさんの子供に関しては謎が多いです。

漫才師として売れる前に幹子さんと結婚したたけしさん。たけしさんが一躍人気漫才師となると、1981年に長男の篤さん、翌年の1982年に長女の井子(しょうこ)さんが誕生しています。

前嫁の幹子さんとの間に生まれたのは、この2人の子供だけで間違いなさそうです。

長男の篤さんは、タワーレコードでバイヤーとして活躍した後、現在は大手広告代理店「博報堂ケトル」に転職しています。

長男の篤さんは、幼少期から父・たけしさんとの記憶がほとんどないそうです。

長女の井子さんは、15歳の頃にたけしさんの映画「HANABI」で女優デビューして話題になりました。

1998年にはXのYOSHIKIさんんよるプロデュースの元、歌手デビューを果たし見事に楽曲はヒットを記録しましたが、わずか2年の活動で海外留学をして活動休止としました。

井子さんは2004年に調理師の男性と結婚し、1年後の2005年3月9日に第一子の女の子を出産します。

ビートたけしの子供は前嫁との間に2人、愛人との間に1人、長女の産んだ子供を養子に

前嫁・幹子さんとの間に2人の子宝に恵まれたたけしさんですが、色々と調べみてると、たけしさんには子供が4人もいると書かれています。

たけしさんの子供の詳細を調べてみると、2人の子供の他にも1990年に愛人との間に生まれた隠し子がいることがわかりました。

さらに、長女の井子さんが2005年に生んだ娘を、その後に養子縁組で受け入れていることが発覚してます。

つまり、たけしさんの子供についてまとめてみると↓

母親 生まれた年 性別 名前
前嫁・幹子 1981年 篤(あつし)
前嫁・幹子 1982年 井子(しょうこ)
愛人 1990年 不明。隠し子
長女・井子 2005年 不明。養子縁組で受け入れる

↑このようになります。

一部では他にも隠し子がいて、実際には子供の人数はもっと多いと噂されていますが、その部分に関しては週刊誌にはまだ書かれていません。

ちなみに2020年に再婚した女性との間には、まだ子供はいないようです。

ビートたけしの師匠・深見千三郎。火事で死去。野垂れ死ぬ美学

ビートたけしさんは2022年にダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが死去された際に、

「上島、大変ショックです。40年近く前から一緒に仕事をしてきたのに、芸人は笑っていくのが理想であって、のたれ死ぬのが最高だと教えてきたのに、どんなことがあっても笑って死んで行かなきゃいけないのに、非常に悔しくて悲しい」

とコメントしました。

また、過去に別のインタビューにて、

オレは学生やめちゃおうと思って、浅草の芸人になろうと思ったら、ほとんど自殺に近いですよね。もう諦めたっていうかね。

だけど、浅草っていうところは、そこで野垂れ死しても妙なロマンがあって、それが保険なんですよ。そこで全然、金になんなくても、食えなくても、浅草の芸人だっていう会員権だけもらえれば、そこで野垂れ死してもいいかっていうところがあったんですよ。で、行っちゃったんですよ。

と、幾度も”野垂れ死ぬ”ことを美学に語っていることが分かります。

たけしさんが1980年の新婚当初から家庭を顧みない破天荒な生活を送っているのも、心のどこかで”野垂れ死にたい”という美学があったように感じます。

実は、たけしさんのこの”野垂れ死ぬ”美学に関しては、かつての師匠であった深見千三郎さんの存在が大きく影響してます。

深見さんは、師匠としてたけしさんに、

「芸人は舞台を降りたらかっこいいと言われるようにしろ」

「芸人は笑われるのではなく、客を笑わすようにしろ」

「歌も踊りもできない芸人は本当の芸人とは呼べない」

と説いていた方で、どの教えもたけしさんは忠順に従っていたことが分かっています。

書籍「浅草キッド」でも、

〈「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて大いに感化させられた。

と綴られています。

たけしの生き様のお手本?師匠の深見千三郎の火事と左手

たけしさんが25歳の頃、フランス座のエレベーターボーイ時代に知り合った深見さん。

一度は破門されたこともありましたが、たけしさんがツービートで売れた後は破門を解いて、亡くなる最後まで親子のような関係でありました。

師匠の深見さんが亡くなってしまったのは1983年の2月2日です。

タバコの不始末が原因の火事で、自身の住む浅草のアパートの玄関先で亡くなってしまったのです。

深見さんは前日に深酒しており、火事に気づいたものの、逃げ遅れて玄関先で倒れてしまったそうです。

亡くなった頃の深見さんはすでに漫才師は引退しており、化粧品会社に転職していたそうです。

たけしさんは深見さんの死に様に関して、

「芸人としてはパッといなくなるのもかっこいいなと思った。」

「誰かに悲しまれることが嫌いな人だし、おとっつぁんらしい死に方だった」

と語っています。

亡くなったのは83年ですが、現在もたけしさんの漫才師として在り方に影響を与えている偉大な人物であります。

ちなみにこの深見さんエピソードで有名なのが”左手”です。

なんと、深見さんは左手の親指以外の指全部が無いのです!

戦時中に徴用されていた軍需工場で、戦場に招集されるのが嫌で、自ら機械に手を巻き込んで指を落としたそうです。

なので、舞台に出る際は左手に包帯を巻いたり、ジャケットやコートを羽織り左手が見えないように工夫していたそうです。

手の指がないと、一見コンプレックスのように感じそうですが、深見さんは現役時代がネタにして遊んでいたそうです。

ちなみにたけしさんは、左手の指のない師匠について、

普段から、四本の指がないことを「師匠は平泳ぎなんかしても左に曲がって行っちゃうんですよね。やっぱりタッチの差で負けたんですか」などとネタにしてくるたけしを深見はことのほか可愛がったという。

と、毎回ネタにして遊び、その様子が深見さんに気に入られていたそうです。

現在のたけしさんの芸は、人の容姿にも容赦無く弄りをいれて炎上されることがありますが、そのイジリの本質は師匠との信頼関係にあったのかもしれません。

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