ビートたけしさんといえば、コメディアンとしてだけでなく映画監督としても活躍されています。

経歴はざっと50年を超える大ベテランですが、最近の若い子の中では”たけしさんの何がすごいの?”と、ビートたけしさんが業界からリスペクトされる理由がわからない声もあります。

また、ビートたけしさんの仕草や挙動に違和感を感じる意見も多いです。

年齢でいえば2022年時点で75歳なので、若い子がそのように思うのも無理もないかもしれません。

そもそも、お笑い業界にどのような影響を与えた人なのか?

本業は何なのか?

どうして、癖のある挙動をするのか?

今日は若い頃のビートたけしさを振り返り、たけしさんのルーツや経歴を辿りながらも、過去に起きたバイク事故の真相や、かつてコンビを組んでいた相方の”ビートきよし”さんについて書いてみたいと思います。

目次

ビートたけしの経歴を年齢ごとに振り返る。若い頃から苦労人

1947年 0歳 東京都足立区に生まれる
1965年 18歳 足立高校卒業。明治大学入学
1972年 25歳 浅草のフランス座で芸人見習いとして働き始める
1973年 26歳 ビートきよしと「ツービート」結成
1975年 28歳 「ライバル大爆笑!」でテレビ初出演
1980年 33歳 女性漫才師の幹子氏と結婚。父の菊次郎が死去。
1981年 34歳 「オレたちひょうきん族」出演開始
1986年 39歳 フライデー襲撃事件
1989年 42歳 「その男、凶暴につき」映画監督デビュー。
1993年 44歳 映画「ソナチネ」が世界で高評価
1994年 45歳 バイク事故。
1997年 48歳 映画「HANA-BI」ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞
2000年 51歳 映画「バトルロワイヤル」出演。
2004年 55歳 明治大学の知名度アップに貢献したとして「特別卒業認定証」
2005年 56歳 東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(〜2008年)
2010年 61歳 フランス芸術文化勲章コマンドゥール受賞
2018年 69歳 旭日小綬章を受章。オフィス北野から独立しパートナーと立ち上げたT.Nゴンに所属。

ビートたけしの学生時代。偉大な教育ママに育てられ進学校→明治大学

ビートたけしさんを語る上で、母親の存在は欠かせません。

たけしさんは1947年の戦後2年に東京都足立区で誕生しました。

兄は思い出も少ないまま死別と、この時代によくある境遇でありました。

実家は貧しかったですが、母親は勉学に勤しむことを大切にしており、生活費を削って子供たちの参考書を買っていたそうです。

高校も近所ではなくレベルの高い進学校。貧しくて電車代を出すのも厳しい時代に、自分のパートを増やして遠方の進学校にたけしさんを進めたのです。

子供たちを大学に行かせるために、おもちゃを作る内職と、日雇いの土方を掛け持ちして学費を稼いでいたのです。

大学を辞めた時が、たけしさんが生まれて初めて母親に反抗した瞬間だったそうです。

たけしさんの母は「2度と帰ってくる」と縁を切られたそうです。

が、たけしさんが芸人を目指して上京した際、一人暮らしを始めたアパートの家賃を半年滞納してしまったとき、大家さんに『うちの息子がお金を払えなくなったら、私に請求してください』って住所まで置いていったことを話され「恩を忘れるな」と怒られたそうです。

たけしさんは当時のことを、

学校を辞めたのは、(自分にとって)けっこうな自殺だったし、母殺しだと思うよ。おふくろは内職して、昼は(日雇いの土木労働を意味する)ヨイトマケやって、夜はブリキのおもちゃ作って、大学行かせたんだから…。食い物まで制限して頑張った母ちゃんを裏切るのは心が痛んだ。ただ、教職課程を取っているから、今から教育実習やれば高校の物理は教えられるんだよ。

と振り返っています。

母にお金を無心され親子関係悪化も隠れて貯金してくれていた

たけしさんがツービートになって成功し、個人タレントとしても収入が増えると、母は実家に帰る度に大金を無心してきたそうです。

当時の母は、

「今までお前を育てた費用だから」

「水道の修理代をくれ」

「病院代をくれ」

というように、メチャクチャな理由をつけてはたけしさんがお金を取っていたそうです。

しかし、ある時に母が病気で倒れ、たけしさんが病院までお見舞いに行った際、帰り際に姉から見覚えのない自分名義の通帳を渡されたそうです。

その通帳には、なんと今まで母に無心されていたと思っていたお金が全額貯金されていたそうです。

母はたけしの金遣いの荒さを心配して、あえてメチャクチャな言い分で多めのお金をたけしさんから預かっていたのです。

母の死後、たけしさんは「母親には敵わない」と語っており、後に有名になる名言「30歳までに母親を許せない奴はバカだ」という言葉を残しています。

ビートたけしの相方・ビートきよし。下積み時代にたくさんのバイト

ビートたけしさんは明治大学を辞めた後、芸人を志して一人暮らしを始めます。

売れない時代が長く、クラブのボーイ、解体業、荷物係、ガソリンスタンドなど多くの仕事を経験しました。

25歳の頃に浅草のフランス座で芸人見習いとして働き始め、翌年26歳の頃にフランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)と意気投合し、漫才コンビ”ツービート”を結成します。

今の若い頃の中にはビートたけしさんに相方がいることを知らない人が多くいるみたいですが、当時の漫才ブームを知っている老人からすると、いまだに”たけし=ツービート”のイメージが残っているみたいです。

若い頃のビートたけしが相方と作った漫才ブーム

現在でも、時より若手芸人中心のお笑いブーム、漫才ブームみたいなものが起きますが、元祖は1980年のたけしさんが結成した”ツービート”が中心の漫才ブームであります。

漫才ブームが起きたのは1980年 - 1982年とごく短い期間でありましたが、漫才がより一般的になった革命的な時代でありました。

漫才ブーム中にたけしさんは漫才師の女性と結婚。

同じ時期に”ひょうきん族”やたけしのオールナイトニッポンが放送開始されるなど、たけしさんが出世したわかりやすい時期でありました。

真相は?ビートたけしのバイク事故に女と鬱病の影

ビートたけしさんといえば、1994年8月に起こしたバイク事故が有名ですね!

当時、これまで端正だったビートたけしさんが、退院会見で顔面麻痺した状態で登場した際には、世間にショッキングを与えました。

運よく一命は取り留めたものの、「頭蓋骨陥没骨折」など重傷。

今の若い子は、現在のたけしさんの顔が何故曲がっているのか知らない人が多いですが、それは若い頃のバイク事故が原因であります。

たけしさんは1994年の8月2日の深夜1時40分に、原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中、ガードレールに激突し大規模なバイク事故を起こしました。

この当時の事故の報道には違和感が多く、現在でも多くの都市伝説や噂が囁かれています。

たけしの事故の場所。真相は酒だけじゃない?と女?スクーターで深夜にサングラス姿

謎の多いでたけしさんのバイク事故。

カーブが曲がりきれずに事故ったとのことですが、たけしさんが実際に事故した場所をみると、あまり急なカーブではなかったことがわかっています。

たけしさんが事故を起こしたのは深夜帯で、事故の前は南青山の日本料理店と西麻布の焼き鳥屋で日本酒4合ほど飲んでいたそうです。

事故当日のは、お酒を飲んだ後、一旦、別宅として使用していた乃木坂の事務所に帰宅。

シャワーを浴び、再び原付きバイクで外出。

お酒が入ったままバイクを走らせた矢先、新宿区の路上でカーブを曲がりきれず、ガードレールの鉄柱に激突し、4メートルも飛ばされるほどの事故を起こしたということです。

多くの方が、ただの飲酒運転の延長の事故と考えていましたが、長年おかしいと言われていることがいくつかありまs。

事故の真相は女とうつ病?若い頃の恋多くビートたけし

事故から20年以上経っても、不可解な点が多いバイク事故。

たけしさん本人は「その部分だけはほとんど記憶がない。事故は自分の不注意だった。」と言っていますが、実際はもっと闇が深いとされています。

まずは、たけしさんが乗っていたバイクが、本人のセンスとはほど遠い赤のスクーターだったこと。

そして、たけしさんが夜なのにサングラスを着用していたことです。

多くの方が、この事故は女絡みだと憶測しました。

バイクは女性にプレゼントする為で、サングラスは当時から追われていた週刊誌対策だったとされます。

実際にこの時期のたけしさんは”細川ふみえ”さんと交際していた時期で、その日たけしさんがスクーターを走らせた場所と方向は、細川さんは翌日のテレビ出演のため赤坂のホテルと一致してるのです。

細川ふみえさん本人は、「たけしさんは私のマンションに一度も来たこともないし、場所さえ知らないんです」と交際自体を否定されていましたが、たけしさんのマンションから出入りしてる姿を週刊誌にしっかりと撮られています。

バイク事故当時のビートたけしはうつ病だった?スクーターは軍団へのプレゼント

後になってビートたけしさんがバイク事故について語ると、当時は鬱であったことを明かしています。

鬱になっていた理由は、やはり女性なのか、仕事なのか、理由はハッキリとしていません。

また、ネット上では赤のスクーターは恋人の細川ふみえさんへのプレゼントだったとの憶測がありましたが、これは誤りのようで、あの赤のスクーターは運転手を務めるたけし軍団員、負古太郎(まけ ふるたろう)に買い与えた物だったそうです。

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