日本人なら誰もが知っているお笑い芸人・タモリさん。
昭和、平成、令和の時代まで有名な番組で活躍し続けました。
2017年11月1日にバラエティー番組「水曜日のダウンタウン」で、「日本の有名人知名度TOP100」と題したランキングが発表された際、タモリさんは1位を獲得されました。
日本で最も名前と顔が知られた人物なのです。
そんなタモリさんも、実は経歴などはあまり知られていません。
また、普段からサングラスを着用されてますが、なぜタモリさんが常にサングラスをしているのか、知らない人も多くいます。
今日はタモリさんの若い頃からの経歴や、サングラスを付けるようになった理由などについて書いてみたいと思います。
目次
若い頃のタモリは意外と苦労人?年齢的に遅咲きで大ブレイク!
タモリさんといえば、いくつ歳を重ねても変わらない仕事ぶりを見せ、活動歴の長さでいえば”みのもんた”さんに匹敵します。
いつくになっても楽しそうに仕事をするタモリさんですが、実は芸人を志してブレイクするまでに長い歳月を費やしています。
タモリさんは早稲田大学に一浪して入学しますが、学費を滞納してしまい除籍扱いに。
大学を辞めた後は地元・福岡でたくさんの仕事を転々としながら、1ヶ月に一回のペースで東京に行って、飲み屋で芸を披露していました。
素人時代のタモリさんが出演していた飲み屋に、たまたま来ていたのが赤塚不二雄さんでした。
赤塚さんはタモリさんを一目見て気に入り、宿と食べ物を約束する形で上京し、自分の番組に出ることを勧めたのです。
30歳にして赤塚さんと運命の出会いを果たし、遅咲きで芸能界デビューしたということです。
ちなみに赤塚さんによってタモリさんがデビューした番組は、『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日、NETテレビ『土曜ショー』にて放送)です。
遅い年齢でデビューしながらも”笑っていいとも!”や”ミュージックステーション”など多くの長者番組を誕生
1975年の30歳にしてテレビ初出演を果たしたタモリさん。
無名でテレビに登場し、すぐにお問合せが殺到する人気者となりました。
デビューから1年後の1976年のバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)が初めてのレギュラー。同年にはオールナイトニッポンのパーソナリティを担当し、一躍知名度を広げました。
着実に実力を世間に知らしめると、1982年に「笑っていいとも!」、1986年に「ミュージックステーション」などで誰もが知る国民的長者番組をスタートさせ、日本を代表するお笑い芸人になったのです。
タモリの赤塚不二夫への感謝。告別式での弔辞。
ちなみに、タモリさんがブレイクするきっかけを作って赤塚不二夫さんとは2008年に死別するまで良い関係であり、告別式での弔辞は特別な内容でありました。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。
”タモリはあなたの代表作の1つ”という名言もありました。
タモリの年齢と経歴
1945年 | 生誕 |
1954年(小学3年生) | 学校の帰りにワイヤーが目に刺さり失明 |
1965年(19歳) | 早稲田大学第二文学部に入学 |
1967年(22歳) | 学費滞納で早稲田大学を除籍 |
1970年(25歳) | 同じ職場の年上の女性と結婚 |
1975年(30歳) | 芸能界デビュー |
1982年(37歳) | ”笑っていいとも!”がスタート |
1986年(41歳) | 「ミュージックステーション」がスタート |
2002年(57歳) | 「笑っていいとも!」で「生放送単独司会世界最高記録」としてギネスブックに登録 |
2008年(63歳) | 「ブラックタモリ」スタート |
2014年(69歳) | 「笑っていいとも!」終了。『生放送バラエティー番組 単独司会最多記録』としてギネス記録に認定 |
タモリがサングラスをしてる理由は子供時代の失明。特殊な幼少期
タモリさんは戦後、1945年8月22日に福岡にて誕生しました。
両親は親戚同士の結婚で、祖父と祖母が子供を欲しがった為に結婚して生まれたのがタモリさんでした。
両親は幼い頃に離婚し、タモリさんは子供ながらもとても大人びていたそうで、幼稚園に入園する年齢の頃に、見学した園の遊びを見て”子供騙し”だと嫌がり、入園を拒否したというエピソードがあります。
少年時代(小学3年生)のときには、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。
現在までにタモリさんがサングラスをつける理由には、この少年時代の失明が関係あるのです。
当時、すぐに治療したそうですが、最終的に視力は戻らなかったそうで、かなり落ち込んだそうです。
それでも、小学生の高学年になると友人たちの前でネタを披露するほど明るい少年時代を過ごしたのです。
学校にはしっかり通い、高校時代は高校では陸上部と剣道部に所属したり、居合道で2級を獲得したり、無線クラブで活動。
勉強もしっかりと頑張り、一浪しながらも早稲田大学第二文学部に進学。モダンジャズの研究会に所属するなど活発な青春を謳歌しました。
タモリさんは少年時代に大人が通るような苦労や試練をすでに乗り越えているのです。
若い頃のタモリ。サングラスや眼帯、素顔でテレビ出演することがあった
遅咲きでブレイクしたタモリさんですが、若手時代からサングラスをつけていました。
先輩の堺正章さんに挨拶した際、サングラスをつけていたことで怒られるなど、周囲に理解されてないうちは苦労もあったそうです。
1975年に博多から上京したタモリ。堺は放送作家から「面白い芸をするヤツがいるから。(ネタを)見てよ」と言われて、タモリと初対面。ものまねネタを見たという。
堺はタモリの芸に全くピンとこず、「九州帰った方がいいんじゃないか」と本気でダメ出し。さらに、後にトレードマークとなったサングラス姿のまま“ネタ見せ”をしたため、ムッとして
「先輩の前で芸やる時、サングラスぐらい取れよ!」と説教したという。
ちなみに若い頃はサングラスだけでなく、眼帯や素顔でテレビに出演したこともありました。
今では基本的にサングラスのみなので、かなり意外な過去ですね!
私生活ではサングラスを外すだけで誰にも気づかれないそうです。
この日、彼がいたのは東京都内にある武蔵小山の商店街。昨日同様、サングラスではなく眼鏡姿。マスクをしているが、これは5年ほど前から花粉症を発症したためだという。
ふと足を止めたのは、スーパーの前。その横にひっそりと立っていた朝日地蔵尊に目を止める。安産、厄除け、子育てなどにご利益があるお地蔵様だそうで、その由来が書かれた石柱などを10分以上も読みふけっていた。その間、スーパーには何人もの客が出入りしていたが、やはり誰ひとりとして気づく人はいない。
日本で一番知名度があると言われているのに凄いギャップです。
タモリの出身地・年齢・学歴・プロフィール
芸名 | タモリ |
本名 | 森田一義(もりたかずよし) |
生年月日 | 1945年8月22日 |
出身地 | 福岡県福岡市南区 |
身長 | 161センチ |
血液型 | O型 |
家族 | 両親とタモリと姉 |
出身小学校 | 福岡市立西高宮小学校 |
出身中学校 | 福岡市立高宮中学校 |
出身高校 | 福岡県立筑紫丘高等学校(偏差値72) |
出身大学 | 早稲田大学第二文学部(除籍) |
以前の仕事 | 保険の外交員。ボーリング場の支配人。喫茶店のマスター。旅行会社。 |