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新型ウイルスで亡くなったお笑い芸人の志村けんさん。

これまでに共演した方など、弟分だったタレントさんたちの追悼コメントが連日登場しました。

亡くなってすでに1週間が経とうとしてますが、今でに亡くなったことを実感できてない方が多くいます。

芸能人からの人望の厚い志村けんさんは、今後も要所で様々なエピソードが登場することでしょう。

志村さんは需要は半永久的に続くことが予想されます。

そんな中、今日になった志村さんの愛弟子であった乾き亭げそ太郎さんが、生前の志村さんとのエピソードを語り、その内容が素敵すぎるとして大きな話題となっています。

そもそも乾き亭げそ太郎さんとはどのような方なのか、合わせてまとめてみたいと思います。

志村けんの愛弟子の初告白!

愛弟子だからこそ知っている志村けんさんの普段の振る舞い。

今公に出てる話も素敵ですが、ずっと私生活から一緒だった元弟子からの告白は想像以上に素敵でした。

今になっても彼にとって志村けんさんは大きな存在だそうです。

こちらが記事の詳細です。

「他の人が知らない志村さんを僕はたくさん知っています。すごく大切なものを教えていただき、弟子のときは一緒にいることが当たり前でしたが、離れてより志村さんの存在の大きさがわかります。志村さんと一緒にいられた時間は贅沢で本当に夢のようでした……」

【画像】志村けんに説教されている弟子を撮った貴重な1枚

そう語るのは、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けん(享年70)の弟子で、現在は故郷の鹿児島でタレントや、ご当地レポーターとして活躍する乾き亭げそ太郎氏(49)。「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)ではメガネをかけた家来として出演。

90年代に「ドリフ大爆笑」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(ともにフジテレビ系)など多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。師匠の突然の訃報を受け入れられず、一度は取材を断られたが、「志村さんの芸に対する思いを少しでも皆さんに伝えられたら」と、「文春オンライン」にこれまで語られることのなかった“師匠・志村けん”の横顔を明かしてくれた。
「師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから『さん』付けで」
げそ太郎氏が師匠・志村との出会いを振り返る。

「子どもの頃からドリフターズの志村さんが大好きで、94年11月、23歳のときに芸人になりたいと思って鹿児島から上京しました。志村さんの番組を観ていたらいつも番組のエンドロールに『イザワオフィス』と書いてあったので、事務所に行けば志村さんに会えるかもしれないと思って、なんの連絡もせずに事務所を訪ねました。そしたら、ちょうど志村さんの運転手を募集していて、面接を受けたら合格したんです」

引用:週刊文春

運転手として弟子に入った乾き亭げそ太郎さんでしたが、その運転手をしていた時の志村さんの行動と言動が凄まじく素敵だった出そうです。

ある時、志村さんのリムジンに擦り傷ができてしまう事件があったそうですが、その時の志村さんの胎動も素晴らしかったそうです。

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志村けんの性格の良さがわかる「リムジン擦り傷事件」

運転手として弟子に入った乾き亭げそ太郎さん。

ドライバーに対して横柄は大物が多い中、志村さんはとても優しく、時には乾き亭げそ太郎さんを守ってくれたそうです。

慣れないリムジンで恐る恐る運転したら……
弟子の主な仕事は運転手。志村の自宅近くに家賃4万円のアパートを借り、1000万円以上する高級外国車リムジンで志村宅を訪れた、仕事場から自宅まで送迎するのが日課だった。車中での志村はビートルズや吉幾三、吉田拓郎の曲を好んで聴いていたという。

「田舎から出てきて急に高級車なんて初めてですし、左ハンドルも経験がありませんでしたので、もう怖くて仕方なかったですね。恐る恐る運転して、心配になって後部座席に乗る志村さんをバックミラーで見たら、信号待ちで車が止まる度に通行人にお辞儀をしているんです。そんなことが何日か続き、僕が『志村さんは凄いですね。信号待ちする度に通行人に頭を下げているので、びっくりしました』と話したら、『違うよ! お前がブレーキをいつも強く踏むから頭が前に倒れるんだよ』と、笑いながらツッコまれました」

やってしまった「リムジン擦り傷事件」

弟子の休日は自宅でポケベルを握りしめての自宅待機。志村が休みの日でも、飲みに出かけるときの送迎は弟子の仕事だった。リムジンを運転してから3カ月経った夜、げそ太郎氏は師匠を送った後、車に擦りキズを付けてしまった。

「志村さんの乗り降りするドアの辺りに大きなキズを付けてしまい、顔面蒼白になりました。その日は志村さんがお気に入りの女性とのお食事で、悩みましたが、正直に言うなら今日しかないと思い、飲んで機嫌よく女性と戻って来たときに『志村さん、すみません。擦ってしまいました』と謝ったら『おお、まあ仕方ねえなあ』の一言だけでなんとか怒られずにすみました。

運転手の仕事で一番大変だったのは、飲んでいるときの待ち時間です。ある日、志村さんを夕方くらいに飲み会の場に送ったのですが、10時間経っても出て来ない。“志村さん、もうタクシーで帰っちゃったのかな”と不安になっていると、車に戻って来たのが17時間後の翌朝10時というのが最高記録でした。どうやら酔って途中で寝てしまったそうです」

寿司にスッポン、フカヒレ……
当時の月給は12万円。それでもげそ太郎氏は、志村に対して「感謝」の気持ちしかなかったと語る。

「365日、ずっと志村さんと一緒だったので、家賃以外にお金を使うことがありませんでした。志村さんが飲みに行ったり、誰かとご飯を食べるときは、必ず『これで何か食べろ』と1万円を手渡してくれました。僕も弟子という身分でお金を稼ごうとは思ってもいなかったので、毎回ご飯代もいただいて、申し訳ない気持ちでしたね。今でも感謝しているのは、初めて食べるあらゆる高級な料理はすべて志村さんに連れていってもらった。スッポンにカウンターのお寿司、フカヒレなど数え始めたらきりがありません」
「何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか」
皆に笑いを届ける国民的コメディアン・志村。一方で、弟子に見せる“師匠の顔”は厳しかった。

「現場で志村さんから目を離したときはよく叱られました。志村さんがタバコを吸いたいときに用意が遅れたり、汗をかいたときにタオルの準備ができていないと、『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と注意されました。

また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました」
弟子になって3年、弟子を辞める決意を告げると……
弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、ネタを考える時間が欲しいと考えたげそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。志村にそのことを告げると、一喝された。

「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」

引用:週刊文春

弟子にたいして、ここまで優しくできる方が存在するなんて、色々とビックリですね!

しかし、このような話を好まず、高感度を取ろうとしなかった部分もすごいです。

志村けんの弟子・乾き亭げそ太郎の告白に対する反応

志村さんの人柄がわかる記事。厳しかったがそれが優しさだと伝わりますね。教えて貰ったこと勉強になったことたくさんあって今の自分がいらっしゃるですね。

厳しさもあるけど、きちんと理由があるし、正直に謝れば高級車傷つけても許してくれる。面倒見の良い、素晴らしい師匠。ドリフの付き人時代に、いろいろ学んで基礎が培われたんだろうな。

近くで見てきた人だからこそわかる事が多かったんですね。芸には本当に厳しく、真面目に演じて妥協していなかったのがわかります。

志村ってほんとに性格いいんだなー。リムジン傷つけてもいいけど遅刻は許さない。これはすごい。
急ブレーキも聞かれるまで注意しない。あと酔っぱらいの演技に対する考え方はすごい。主演映画、観たかったなあ、、

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