日本の名俳優・宮内淳さんが死去されました。

70歳でした。

過去に松田優作さん主演の名作「太陽にほえろ」などに出演し、昭和を代表する俳優の一人でした。

長く作品に出演されていなかった宮内淳さんですが、現在までにどのような仕事をされていたのでしょうか?

亡くなられた死因と晩年、そして過去の代表作や結婚などのゴシップも含めてまとめてみました。

目次

宮内淳 死去。死因は直腸がん

宮内淳さんが亡くなられたのは先月8月の14日でした。

死因は「直腸がん」。

70歳でした。

ドラマ「太陽にほえろ!」の“ボン刑事”で知られる俳優の宮内淳(みやうち・じゅん)さんが、先月14日に直腸がんのため亡くなったことが分かった。70歳だった。6日、宮内さんが代表理事を務める公益財団法人地球友の会が発表した。  

同法人の公式サイトは、宮内さんについて「直腸がんとの診断を受け入院加療しておりましたが 去る8月14日 70歳を以て家族に見守られ永眠いたしました」と報告。葬儀は故人の希望により、近親者のみで同17日に執り行われた。引用元:Yahoo!ニュース

家族に看取られて永眠されたそうで、葬儀などは宮内さん本人の希望により近親者のみで執り行われそうです。

宮内淳の経歴/学歴プロフィール[若い頃の画像]

名前: 宮内淳

読み方: みやうち じゅん

生年月日: 1950年5月28日

没日:2020年8月14日(70歳)

年齢: 70歳

身長: 182㎝

血液型:B型

出身地: 愛媛県伊予郡松前町

出身高校:大阪府立阿倍野高等学校卒業

出身大学:西南学院大学中退

出身劇団:文学座

1975年:太陽にほえろ出演

現在は日本UNEP協会の理事、「世界子ども環境会議」の準備委員長

宮内淳さんは俳優活動をやめた後は、国連環境協会(UNEP)の普及活動を行う一般社団法人「日本UNEP協会」の理事として活躍し始めました。

また、あるテレビ番組で世界80数ヵ国を巡って、多くの文化や人間本来の生き方に触れ、その経験から地球環境問題と子供の情操教育に関心を持つようになりました。

1995年には「世界子ども環境会議」準備委員長として、英国サッチャー首相を埼玉県に招致しています。

「影絵劇団かしの樹」を主宰

宮内淳さんは、現在も演技の仕事に関わっており、「影絵劇団かしの樹」を主宰しています。

「影絵劇団かしの樹」では国連特別代表の協力の元、カンボジアで民間PKO第1号講演を行っています。

最近では国連表彰を受けた坪田愛華さんの名作「地球の秘密」を影絵ミュージカルとして全国公演しました。

その他にも、影絵劇団「かしの樹」では、多くの影絵劇作品を全国で上演しています。

宮内淳の現在。1日1食で若い頃から同じ体重キープ

宮内淳さんが俳優を引退されるのは早かったです。

宮内淳さんは『太陽にほえろ!』に出演した後に『あさひが丘の大統領』で先生をやり、その後は俳優の仕事をしないで世界を回ったそうです。

直腸がんで亡くなられた宮内さんですが、現在までの食生活などはとても健康的です。

一般的に言われる「1日3食」や「寝た後すぐに寝るな」という言い伝えを無視し、直感的な食生活を心かけていたそうです。

宮内さんは1日1食、夕方に食べるだけ。夕方にご飯を食べたらすぐに寝て夜に起きて、深夜にまた寝るというサイクルで生活を送っていたそうです。

1日2回寝るという、直感的で無理のない生活をしてて、とても理想的ですね!

宮内淳の結婚と嫁・子供、孫

宮内淳さんはキャリアの序盤で引退されているので、その後の私生活なニュース少ないです。

70歳ということで、結婚し、子供も生まれていますが、身内で芸能界に関わっている方はいないようで、情報は少ないです。

過去紫帆りんと言う方のブログの中で、宮内さんの嫁さんの情報が少しだけ書かれていました。

2009年10月29日に投稿された記事にて、

東京のコンサートには、ご夫妻で来て下さったり、4人でご飯食べに行ったりと、お付き合いさせて頂いています

それに、みっちゃん。。奥様のこと。。がね、お袋の実家に髪飾り忘れてさ、すごく残念がってたらさ、東京の家に帰ったら、使わないハンドバックに挟んであったり。。。

だから家に帰ったら、外食の後なのに、料理しなくちゃいけないのよ。。と美人のみっちゃんが苦笑い 引用:紫帆りんブログ

と書かれていました。

この記事の内容から読み取ると、嫁さんは、

「美人」

「あだ名は『みっちゃん』」

ということがわかります。

同じ記事に投稿された写真のどこかに、おそらく宮内さんの嫁さんが写っています

美人という情報なので、おそらく宮内さんの隣にいる顔の小さな若めの女性ではないでしょうか?

宮内淳が死去したことへの反応

また一人、七曲署の刑事が去られたか。今年は印象に残る人達が次々と亡くなってしまう
寂しい限りだ。

活躍期間は短かったけど、私のようなアラフィフ世代にはインパクトが強く残っている。もっと売れても不思議でない人だったけどなあ。

早くに俳優を辞めたから「太陽」や「あさひが丘」の二十代でのはつらつとしたイメージしかない。特に太陽でデビューした頃の本当に一生懸命演じ、走っていた姿が印象的。応援したくなる愛すべきキャラクターの刑事だったな。

七曲署のメンバーが、みんな旅立ってしまう、皆で天国で、仲良く捜査してください。ご冥福を。

70の若さでまだまだ死ぬには早すぎた。太陽にほえろの最盛期にボンがいた。もっと長生きしてほしかった。。。ボンが居た時期の太陽は、最高に良かった。ご冥福をお祈りします

「朝日ヶ丘の大統領」楽しかったなぁ。意外と先生役合ってた。あの笑いかたが印象に残ってる。70歳、まだ若いな。もっとドラマに出て欲しかった。残念です。いい俳優さんだったのに。ご冥福をお祈り致します。

「太陽にほえろ」を毎回見てたのはジーパン編まででそれ以降は時折だったが、テキサスの殉職(卒業)が1年延びたので新米(若手)刑事が常にWになり、スコッチが半年で退場しボンの単独が半年間なのが気の毒な気がしていた。ロッキー着任後は経験も積んで先輩としての貫禄も出てボンと云うあだ名も気の毒な気がした。ボンの殉職の回はリアルタイムで後にも先にも一回しか見ていないが、もう一度見てみたいですね、宮内 淳さん、心からご冥福をお祈りいたします。

 

 

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