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菅原喜重郎 死去。死因は慢性呼吸不全。現在までの経歴(画像)政治家として、衆議院議員として活躍された菅原喜重郎さんが亡くなったそうです。

92歳でした。

菅原喜重郎 死去。死因は慢性呼吸不全

菅原喜重郎さんの死因は慢性呼吸不全でした。

元衆院議員の菅原喜重郎(すがわら・きじゅうろう)氏が26日、慢性呼吸不全で死去した。92歳。告別式は近親者で行う。喪主は長男、喜哉氏。

 1983年の衆院選で初当選。自由党などで計4期務めた。引用元:ヤフーニュース

昭和から活躍された議員さんなので、記憶に残ってる方は少ないかもしれません。

菅原喜重郎ってどんな人?経歴

名前:菅原喜重郎

生年月日:1926年11月9日

学歴:同志社大学神学部

1983年に民主党から立候補して旧岩手2区から当選したのを皮切りに政治家としてのキャリアをスタートさえせました。

その後も当選と落選を繰り返しならがも、計で4回も衆議院議員として活躍されました。

娘の佐藤奈保美さんも2012年に総選挙に出馬しましたが、岩手県第3区から日本未来の党公認で立候補うしましたが、惜しくも落選しました。

反旗を翻した黄川田氏に対する小沢氏からの“刺客”。佐藤氏擁立が決まった時、民主陣営は震え上がったという。佐藤氏の父親、菅原喜重郎氏(86)は元衆院議員で、もともと黄川田氏の後援会の幹部。9月上旬の黄川田氏の集会では「黄川田代議士を応援する」とあいさつしていた。それが、まさかの有力地盤切り崩し。ある市議は「各議員から“まさか喜重郎さんの娘とは…”と驚きの声が上がった」と明かす。
 佐藤氏は菅原氏の公設秘書を務めた後、温泉旅館「かみくら」の女将となった。08年6月に発生した岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受けた旅館を再建し、メディアにも度々登場している。黄川田氏との対戦については「素晴らしい方だと思います。私は私なりに頑張らせていただくだけ」と語るにとどめた。

亡くなる2年前の2017年の4月29日に、旭日章を受章しました。

ここ近年は、やはり娘の佐藤奈保美さんの震災直後の出馬印象深いです。

「地元では、人気旅館の女将(おかみ)としてメディアにもよく登場する有名人。父は元衆院議員の菅原喜重郎氏で、その秘書を務めたこともある」(地元の会社経営者)

「シングルマザーで、旅館業をこなしながら子供を育て上げた苦労人。岩手・宮城内陸地震(08年)で旅館が被災したが、がんばって再建し、東日本大震災後は被災者を積極的に受け入れた」(地元市議)

地元の岩手県を守りたい一心で戦った娘の姿は、父にはどう写っていたのでしょうか?

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