日本で最もロックな男として知られていた内田裕也さんですが、先日、肺炎のため亡くなってしまいました。
死去されてから遡られる祐也さんの音楽家としての功績ですが、50年代に当時は日本人とは無縁だったバンド形式でのロックンロールバンドの活動本格的に行い、60年代にはビートルズの前座を務め、その後は日本で初めてロックフェス「ニューイヤーロックフェスティバル」を開催するなど、利益よりも先に実行することを選び続けました。
そして昭和から現在までに日本を代表するロックスターとして知られる矢沢永吉さんですが、彼がデビューした当時には、内田裕也さんとも深い関わりがあったのです。
矢沢永吉は内田裕也のプロデュースで世に出るはずだった?
若き頃の矢沢永吉さんが、「キャロル」という伝説的なバンドを組んでたいたことは有名だと思います。
当時から矢沢さんのステージングは見事なもので、和製エルヴィスとしての成功はほぼ確実視されていました。
そんな矢沢さんが組んだ「キャロル」ですが、実は結成前に内田裕也さんとミッキー・カーチスさんにプロデュースのオファーを受けていたのです。
しかし、結果的に矢沢さんはミッキーさん側と組むことに決めたのです。
当時、内田裕也さんはそのことに怒りを示しましたが、矢沢永吉さん本人が祐也さんの元に直接謝罪に訪れ、さらには土下座して「殴ってください」とお願いしたことで収まったそうです。
あの矢沢さんにプロデュースをお願いされていた内田裕也さんも凄いですが、直感で他のメンバーを選んだ矢沢さんの決断もすごいです。さらには謝り方も男前で何もかもがすごいです!
ネット上で過去に矢沢さんが内田裕也さんにボコボコにされたという逸話が広がっていますが、その件について2016年に出演された「ダウンタウンなう」にて弁解されてます。
しかしその後、キャロルは別の人物とタッグを組むことに。内田は「冗談じゃねぇよ、お前らが『ヨロシク』って来たんだろ」と怒り、矢沢を殴ってやろうと焼肉屋に呼びつけたという。しかし矢沢は内田の前で正座し「自分が悪いので、1発もらえますか」と殴られる覚悟で詫びを入れたそうだ。その姿に内田は「ここで『負けた』と思ったね。『こいつイケるな、大スターになるな』って」と振り返った。引用:ニッカン
つまり、結果的に内田さんは矢沢さんの男気に惚れ込み、殴ることはしなかったのです。
都市伝説のように語り継がれる矢沢さんと祐也さんの武勇伝ですが、実はもっとカッコよくて中身のある話だったんですね。
現在までに話の詳細が漏れてこなかった点、祐也さんの秘密主義な性格が魅力的に感じました。中途半端な男であれば「俺はあの矢沢を殴ってやったんだ」「土下座されたんだ」とチクって回りますからね。
矢沢永吉が内田裕也に追悼の意を示す
昔から過去に関わりがあったにも関わらず、互いに具体的な言及はされてこなかった内田裕也さんと矢沢永吉さん。
互いに互いのことをどう思っているのか、特に矢沢さんのファン側は気になっていたことでしょう。
若き日の情けない思い出として蓋をするのか、またどこかで話すのか。
二人が並んで対談する姿など夢のようなシチュエーションにも期待しましたが、残念ながら祐也さんは死去されてしまいました。
様々な追悼コメントが出る中、あの矢沢さんからのコメントに期待していました。そしてついに追悼コメントを発表されたのです。
ロック歌手の矢沢永吉(69)は「裕也さんがいなくなるってさみしいですね。じいさんになっても、よぼよぼになっても、もっと生きてほしかったです。心よりご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。引用:スポニチ
「寂しい」という言葉と共に、祐也さんがいなくなってしまったことを惜しんでます。
きっと、今後もどこかで祐也さんに関して言及されると思いますが、先立たれた今だからこそ聞ける話があれば嬉しですね。
日本のロックンロールの原点と頂点ですから、この二人の関係というのは音楽ファンにとっても特別なはずです。
ちなみに今年2019年まで続いた祐也さん主催のロックフェス「ニューイヤーロックフェスティバル」の第一回には矢沢永吉さんも出演されてます。
叶うならば、最後の最後に矢沢さんと祐也さんのフェスでの共演を観てみたかったですね・・・。
しかし、来年2020年以降のフェスはどうなっていくのでしょうか?
平成と共に終わったと考えると、何か縁を感じますね。
平成を跨いで次の時代にも足跡を残して欲しかったのが本音ですが。