昭和のテレビにアイコンともなっていた名司会者の鈴木史朗さん。

最近、すっかりテレビで見なくなりましたが、実はまだ元気に暮らしています!

以前のようなアクティブな活動はしてないみたいですが、私生活では趣味のゲームを極めるなど刺激的な毎日を送っているみたいです。

そんな鈴木史朗さんが週刊誌のインタビューで、過去に出演していた番組の裏側について語ったみたいです。

現在の鈴木史朗さんの趣味であるバイオハザートと、週刊誌で語ったバラエディ番組の思い出について書いてみたいです。

目次

鈴木史朗が現在語る昔のテレビのヤラセと台本とガチ

昭和の時代には多くの番組に出演していた鈴木史朗さんですが、平成に入ってからはTBS系の『さんまのスーパーからくりTV』のイメージが強いでのはないでしょうか?

カラクリの名物コーナーであった『ご長寿早押しクイズ』では、鈴木史朗さんの真面目なトーンと、老人たちの破茶滅茶な回答のラリーが永遠と続き、人気のコーナーとなっていました。

その人気コーナーは1992年から2014年まで続き、今でも「また観たい!」というファンを多く抱えています。

週刊誌では当時出演していた「さんまのスーパーからくりテレビ」の『ご長寿早押しクイズ』の収録の裏話などを語っていました。

当時、全国388か所で撮影していたとして、移動のほとんどロケバスというハードな裏側を明かしました。

毎回地方まで行くので、往復で6時間、そして撮影は3~4時間も要したそうです。この生活が毎週続いていたということで、鈴木さんは相当疲れたそうです。

さんまのスーパーからくりテレビの『ご長寿早押しクイズ』に台本もやらせも一切ない

気になるのは、名物コーナーの台本です。あれだけ芸術的なボケが連発していたということで、「ヤラセではないか?」という声は当時からありました。

しかし、鈴木史朗さんはコーナーのヤラセや台本の存在を真っ向から否定しています。

「ヤラセはいっさいありません。台本なんかないですよ。あっても、おじいちゃんおばあちゃんに台本は覚えられませんから。進行だって聞いてくれないんですから」

と答えています。

今、思い出せる範囲の回答でも、あまりにも強烈な内容が多く、とても信じられません。

鈴木史朗さんの真面目なトーンがベースにあったからこそ、御老人の回答に切れ味があったように見えただけかもしれませんが。

最初、鈴木史朗はオファーを断った?

実は鈴木史朗さんは、からくりテレビのコーナーのオファーが来た当初は断ろうと思っていたそうです。

真面目な鈴木史朗さんは、お年寄りで笑いを取ることに抵抗があったそうです。

しかし、オファー側が鈴木さんに「1回だけでも良いのでやってみてください」と食い下がったことで、1度限り試しに撮影に参加してみたそうです。

すると、ご老人たちは不快に思うところが、ノリノリに楽しんでくれたということで、「これはいいかもしれない」となり、その後も番組のコーナーを続けてみようと思ったそうです。

決勝前に山に1時間消えたお爺ちゃんと大阪での逸話

ちなみに裏話の1つに、クイズの決勝に進んだおじいちゃんが、トイレに行ったまま帰ってこなかったというエピソードがあり、とても面白かったです。

「あるおじいちゃんがトイレに行かれたまま帰ってこなかったことがありました。トイレまで見に行ってもいないんです。どこに行ったんだろうと探したら、知人のおばあちゃんが“山に炭の焼け具合を見に行った”と言うんです。それで山まで呼びに行って、撮影が1時間ほど遅れたこともありました。決勝戦ですから、待つしかなかったんです」

山に炭の焼け具合を見に行った」とは強すぎます!笑

結果的に1時間も待たされたというからすごいです。

また、大阪で撮影をした際には、みんなサービス精神旺盛で自らボケてくれ楽しかったそうです。が、自然体じゃないということで、逆にコーナー本来の面白さには欠けてしまったそうです。

また、大阪の方は、放送できないような下ネタも多く、ほぼカットになってしまったとか・・・笑。

現在の鈴木史朗氏はゲーム浸り?バイオハザートの名人レベル

久しぶりに公で自身について回想した鈴木史朗さんですが、現在は趣味のゲームに没頭していることを明かしています。

「今は本を読んだり、人気ゲームの『どうぶつの森』をやったりして静かに生活しています。今後の抱負はピンピンコロリ。“ちょっと横になるよ”と言ってそのまま、というのが理想です」

読書はイメージ通りですが、今時のゲームにガッツリハマっているのは意外ですね!

以前にはバイオハザートの腕が良いとして、ロングインタビューがネットに出て話題となっていました。

「バイオハザード4」の「ザ・マーセナリーズ」が一番好きだとして、6万点出せばプロ並とか言われていた時代に9万点を叩き出したということでゲーム業界から取材が来たそうです。

その後もやり込んだ結果20万点まで到達し、80歳を超えた最近でも19万点を叩き出したそうです。

ちなみに鈴木さんが好きな「バイオハザード4」は2005年の発売なので、もう15年もプレイしていることになります。

2と3はゾンビの姿が苦手で親しめなかったそうですが、4になって雰囲気が変わって一気に好きになったそうです。

もともとは娘の勧めだったみたいですが、ここまで長く遊び続けるってすごいですね!

鈴木史朗さんの現在の生活サイクルと姿[画像]

以前のようにテレビで拝見することが少なくなった鈴木史朗さんですが、現在はどのような生活をしているのでしょうか?

なんと、現在の鈴木さんは朝10時に起きて夜3時に寝るというサイクルで過ごしているそうです。まるでニートのようです・・・。

鈴木さんは元々読書が趣味だったということで、朝起きたら「今日はどれを読もうかな」とページをめくりながら食事をするそうです。この〜ながらをしてしまう感じも若いですね!

ご飯が終わったら、庭の手入れ、そして再び読書、それ以降は孫と遊んだりゲームしたりするそうです。

夜ご飯が終わった後はニュースを見て本を読んで、3時くらいに眠くなったら寝るそうです。

ゲームは実質2時間ぐらいに抑えてるみたいですね。

ちなみに70歳を過ぎると車の運転について適性検査を受けなきゃいけませんが、鈴木史朗さんはこの検査に過去一度も引っ掛かったことがないそうです。

鈴木史朗は若い頃に南京に住んでいた!

鈴木史朗さんは最近までTBSアナウンサーとして活躍されましたが、実は1938年生まれと高齢の方です。

実は、鈴木さんは幼児期の7年間を北京と天津で過ごし、終戦と共に帰国したという異色の経歴を持ちます。

過去には当時の中国・南京の様子を語っていたことがありました。

日本が南京を陥落した時に、避難していた民衆は南京に戻ってきたこと。(日本兵が治安を守る南京市内の方が安全だった)

規律があって誠実だった日本兵が中国民に好かれていたこと。(中国兵は煙たがられてたいそうです)

鈴木さんの当時の思い出の中では、中国の村々で日本兵は略奪などしていなかったこと、みんなに軍票(金券)を配布し、自分らも貰っていたこと。

そして、日本兵がどこに行っても、村人から拍手で迎えられていたことなどです。

また、当時の中国はノミ、シラミ、ダニ、梅毒が蔓延し衛生状態がとても悪かったそうですが、日本兵は衛生観念がしっかりしていたことで頼りにされていたそうです。(衛生兵は一生懸命に怪我をしている中国人たちを手当てしていたとか。)

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