サッカー界の世界的スーパースターのディエゴ・マラドーナさん(元アルゼンチン代表)。
最近になって姿を見かけなくなった彼ですが、2020年11月25日にアルゼンチンのブエノスアイレスの自宅で、心臓発作のため亡くなりました。
また、60歳の若さでした。
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ディエゴ・マラドーナが死去(死因はドラッグによる心臓発作)。硬膜下血腫の手術後に自宅で安静
ディエゴ・マラドーナさんは2020年11月の上旬に「硬膜下血腫」の手術を受けました。
11月2日に体調不良を訴えブエノスアイレス近郊の病院に入院し、硬膜下血腫と診断後に、転院した病院で11月3日に脳血栓を取り除く手術を行いました。
手術後、無事に退院して、自宅で治療を受けていました。
海外メディアは自宅に戻ったマラドーナ氏の体調は良好だとして報じていた為、多くのサッカーファンは命に関わるほどの大病だとは思わなかったことでしょう。
退院後、約20日後の11月25日になって亡くなってしまうなんて、誰も塑像もできなかったことでしょう。
マラドーナの最初の心臓発作の原因は薬物だった
引退後のマラドーナさんはドラッグにはまり、体重も共に増えていきました。
葉巻や喫煙も嗜み、食生活も不正摂取を極めていました。
一時期は肥満問題のため、食事量コントロールのために胃のステープリング手術(胃の数か所を器具で止めて食事量を減らす)で大幅なダイエットに挑みました。
引退後のマラドーナ氏はテレビ司会者としてタレント活動する一方で、コカイン中毒とも闘ってきました。
2000年にはウルグアイのリゾート地プンタデルエステでドラッグ摂取による心臓発作で入院をしたこともあります。退院後もコカイン中毒と格闘しましたが、2004年にも再度心臓発作に見舞われ命の危機に侵されました。(2度目はキューバの首都ハバナで治療)
また。2007年3月には肝炎とアルコール依存症の治療をアルゼンチンの病院で受けました。当時のマラドーナ氏は「アルコールやドラッグ問題は過去のものだ」と強気な発言をされていましたが、結局は入退院を繰り返すことになりました。
マラドーナが死去したことへの日本サッカーファンの反応
・現役時代は伝説のスーパースターとして活躍も引退後はいろいろと面倒事もあったマラドーナ。波乱万丈の人生でしたね。ご冥福をお祈りいたします。
・忘れない5人抜き。マラドーナ マラドーナ マラドーナ。今でも解説の声が聞こえそうです・
・いいな、アルゼンチンでは一般人でも功績がある人が死ねば、国を挙げて追悼する。一方日本は国民は元総理の葬式を全力で皆で侮蔑する。日本でこんなことやったら「俺は関係ない」「失われた俺のバイト代3日分補償しろ!」ってのがわんさか湧くだろうな。
メッシがマラドーナに胸熱な追悼コメントと画像
60歳の若さで亡くなったマラドーナに対して、「マラドーナ2世」と呼ばれたたバルセロナのFWリオネル・メッシさんが追悼コメントを発表しました。
11月25日にマラドーナ氏の死の知らせを知った直後にメッシ氏は自身のSNS・インスタグラム を更新しました。
メッシ氏はマラドーナ氏との笑顔の2ショット写真をアップし、
「すべてのアルゼンチン人、そしてサッカー界にとって悲しい日。彼は亡くなったが、無くならない。なぜならディエゴは永遠だから」
「彼との美しい思い出はずっと忘れない。ご家族、友人に哀悼の意を表したい。安らかにお眠りください」
と母国のレジェンドの死を悼みました。
メッシ氏はマラドーナ伝説は生き続けると表現しましたが、メッシ氏はアルゼンチン代表の10番をマラドーナから引き継ぎ、「小柄」「左利き」「ドリブルが得意」というマラドーナ氏を彷彿とさすプレースタイルから、デビュー当時から「マラドーナ2世」と呼ばれていました。
かつてマラドーナ氏がアルゼンチンの監督を務めた2008~10年はマラドーナの下でプレーしました。
メッシ氏は今月にマラドーナ氏が硬膜下血腫の手術を受けた後もに「早くあなたに会いたいです」と気にかけて心配していることをSNSで発信していました。
残念ながら最後に再会することは実現しませんでした。
メッシがマラドーナを追悼したことへの反応
・まさに師弟関係だったな。お父さんのような存在だったことだろう
・同郷のレジェンドで、代表でも一緒だったからメッシはさぞかし悲しんでいるでしょう。
・もしマラドーナが薬物をやらなければ、もっとメッシにとって精神的支えになったことだろう。もったいない
ブラジルのライバル・ペレの追悼コメントと画像
ブラジルサッカーの伝説でペレ氏も、マラドーナ氏の死去を知ってインスタグラムで追悼コメントを発表しました。
元ブラジル代表のペレ氏にとってはアルゼンチンのヒーローはライバルでありますがペレ氏は、
「きょう悲しいニュースがあった。私は親愛なる友を失い、世界はレジェンドを失った。言いたいことはもっとあるが、ひとまず、神が彼の家族に力を与えてくれますように。いつか天上で一緒にサッカーができることを願う」
と、また空の上で共にサッカーをすることを望むような粋な追悼コメントを出しました。
また、ペレ氏はインスタグラムには、1986年にW杯のトロフィーを掲げるマラドーナ氏の写真をアップしました。
敵国の優勝を讃えるというのは、ブラジル人にとっては最大級の賛辞であることでしょう。
ペレがマラドーナを追悼したことへの反応
・ライバル同士だと思うと胸熱
・サッカーボールと戯れるマラドーナは誰にも侵すことのできない神聖な存在だった。掛け値無しにボールは体の一部だった。ペレもディ・ステファーノもベストもジダンもメッシもマラドーナの比較にはならなかった。サッカーと同意義で特別な存在だった。このような選手はもう絶対に出てこないだろうと思う。
・ふたりがサッカーが天国で見れるなら、死後の世界も悪くない。
ネイマール、ミシェル・プラティニ、バルセロナなど所属チームの追悼コメント
「安らかに眠れ、サッカー界のレジェンド」
ーネイマール
「私たちの過去の一部が去った」
ーミシェル
「ディエゴ、いろいろとありがとう。FCバルセロナは、私たちチームの選手(1982~84年)で、世界のサッカー界のアイコンであるディエゴ・アルマンド・マラドーナの死に心からの追悼の意を表する」
ーバルセロナFC
「ずっと私たちの心の中に。チャオ、ディエゴ」
ーイタリア・ナポリ
「永遠の感謝。永遠のディエゴ」
ーボカ・ジュニアーズ
「あなたは世界のサッカー界全員の心に永遠に残る」
ーアルゼンチン代表チーム
過去の在籍チームが追悼したことへの反応
・海外だと在籍していた歴代のチームが追悼するからすごいよね。日本だと野球・伊良部が亡くなった後に短期間しか在籍してないヤンキースが追悼コメント発表したのに、長く在籍した日本の某チームらは反応しなかったね。
・他の一流選手は人間的にも尊敬される偉大な人が多いけど。マラドーナの場合は正にサッカーをするだけに生まれたような。無邪気な少年でありサッカーボールみたいな人だったね。
・サッカーボールと戯れるマラドーナは誰にも侵すことのできない神聖な存在だった。掛け値無しにボールは体の一部だった。ペレもディ・ステファーノもベストもジダンもメッシもマラドーナの比較にはならなかった。サッカーと同意義で特別な存在だった。このような選手はもう絶対に出てこないだろうと思う。