エレファントカシマシのボーカルとして長年下積み時代を過ごした宮本浩次さん。

メジャーデビュー以降も幾度も契約を切られ、レーベルを転々とした話はあまりにも有名ですね。

貧しい下積みを長く過ごした名残か、宮本浩次さんは赤羽の実家に長く住んでいたそうです。

エレカシのファンの間では宮本さんの実家や母親の話は有名ですね!

今日は、宮本浩次さんの地元と実家、そして本人がマザコンと認める大好きな母親について書いて観たいと思います。

目次

宮本浩次は子供の頃に合唱団に所属し才能を磨く

宮本浩次さんは、子供の頃から母親の勧めでNHK少年少女合唱団に所属していました。(小学3年生から5年生まで)

当時、宮本さんは歌うことが恥ずかしいと思っていたそうで、小学校5年生の頃には合唱団は辞めてしまったそうです。

歌うことを嫌いになりかけてた頃、最愛の母に「NHKの合唱団行ってよかったって、私に感謝する時が来るはずよ。と言われ、その言葉が今でも心に残っているそうです。

ちなみに子供の頃に宮本さんが歌った曲がYouTubeに残っています。

当時にして今の宮本さんの緩急が極端な表現が完成されていますね。

子供にしてすでに歌の基礎ができてます。

東京都北区立赤羽台中学校時代に現在のメンバーと出会う

宮本浩次さんが所属するバンド「エレファントカシマシ」は、宮本さんの中学時代の仲間たちと一緒に結成したバンドです。。

宮本浩次の出身小学校は、北区立赤羽台東小学校。出身中学校は、東京都北区立赤羽台中学校です。

中学時代は軽音部ではなくバトミントン部に所属していたそうで、ガッツリバンドに目覚めてたわけではないみたいです。

この赤羽台中学で、現在 エレファントカシマシのギターを務める石森敏行さんと、ドラムを務める冨永義之さんに出会ったのです。

宮本浩次の出身高校と大学

ちなみに宮本さんの出身高校は東京の私立校高輪高等学校(偏差値58)です。

高校卒業後は東京国際大学商学部(偏差値36)に進学してます。

その後にCBS SONY SDオーディションに入賞し、勢いのまま1988年にエピック・ソニーよりメジャーデビューを果たしました。

デビュー後はレコード会社の解雇、事務所の解散、そして突然の大ブレイク、レコード会社移籍など、波乱万丈でありましが、バンドとしてもソロとしても紅白出場を果たす快挙を成し遂げてます。

最愛の母親と暮らした宮本浩次の実家・赤羽台団地

赤羽は宮本さんの地元として知られてます。JR赤羽駅の発車音に使われていることは有名ですね!

宮本浩次さんの実家は、地元の赤羽にある赤羽台団地です。赤羽台という土地は終戦まで工兵第一大隊や近衛工兵大隊、火薬倉庫など旧日本軍の施設が一帯を占めていた場所でもあります。

団地は昭和38年には広大な面積を生かし、都内で最初の大規模団地として建設されました。

当時、都心に近い高台に建つ最新式の団地であり、日本人にとって憧れの住居でありました。

ロッキンオンで宮本さん本人が、24歳まで17号棟の409号室に母親と共に住んでいたそうです。

25歳で家を出たそうですが、なぜか同じ団地の10号棟3階だったそうです。それだけ母親の近くにいたかったということでしょうか?

宮本さん本人はすぐにご飯を食べに行けて楽だからと発言されています。過去彼女に振られた時は1っヶ月ほど実家でご飯を食べてたそうなので、この話はガチっぽいですね!笑

母も兄貴も優しくて甘えん坊になった?

宮本浩次さんは次男坊で、子供の頃から甘えん坊でした。

実家の家族構成はお父さん、お母さん、お兄さん、宮本浩次さんの4人家族です。

宮本浩次さん曰く「猫かわいがりだった」そうです。長男は5歳年上で温厚で優しい人らしいので、今のワガママで破天荒は宮本さんが出来上がってしまったのも納得ですね。

学生時代に音楽の道を反対していた父親ですが、ネットでは雪印に勤めているとの噂がありますが、これは赤羽に雪印の大きな工場があるのが根拠だそうです。

宮本浩次を歌手にしたのは母親の後押し?

宮本浩次さんの歌の基礎力が高いのは幼少期に合唱団にいた恩恵だとされています。

その合唱団に入団させたのは他でもなく母親でありました。

また、当時歌を歌うことが嫌になった宮本さんに、母親は歌を歌っていれば良いことがあると話していたそうです。

そして青春期にバンドを組むことを両親に伝えると、父親は反対しているのに対して、母親は大喜びしてくれたそうです。

宮本さんが母親のことを大切にし続けたのは、今の自分の全ては母におかげだと自覚があるからでしょうね!

紅白出場を果たしたのは母が死去した後

エレカシとして数々の成功を手に入れた宮本さん。

70歳を越えた後にも、バンドのライブに母親を呼ぶことが頻繁にあったそうです。宮本さんの母は「あなたの声がうるさいから」と耳栓をしながらライブ鑑賞していたそうです。あれだけ歌を勧めてバンド結成を喜んでくれた母なのに、面白いエピソードですね!

成功した後のインタビューで宮本さんは母について「母親の予言があたった」と語っているので、音楽に付随する母への感謝は永久に続きそうです。

エレファントカシマシは2017年に、ついに念願の紅白歌合戦に出場しました。

が、この時にはすでに母親は亡くなっていたそうです。

なんと、紅白が決まる数ヶ月前に母が死去してしまったそうです・・・。

この時のインタビューで宮本さんは、

「お墓参りぐらい行ったほうがいいんですかね?いや、行こうかとは思ってるんです。ご報告というか、まだしていないんで……」

と、お墓に手を合わせ紅白出場を報告しようかと語っていました。

あれだけ応援してくれた母親のことですから、きっと紅白出場を喜んでくれてることでしょう。

きっと天国から息子の晴れ舞台を楽しんだんでしょうね!

宮本浩次(エレファントカシマシ)のプロフィール

本名 :宮本浩次(みやもとひろじ)
生年月日:1966年6月12日
出身地:東京都北区赤羽
身長:170cm
血液型:O型
所属事務所:フェイスミュージックエンタテインメント

 

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