BLANKEY JET CITYの解散理由。メンバーの不仲喧嘩説(浅井,中村,照井)
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BLANKEY JET CITYとはベンジーこと浅井健一(vo&g)、照井利幸(b)、中村達也(dr)という現ロック界の大物たちが同居した奇跡のロッケンロール・バンドです。

短いキャリアで目立った売り上げを作った訳でもない彼らですが、日本ロック史の中でも重要な位置におり、現在第一線で活躍するミュージシャンや芸能人に影響を受けた方は数多くいます。

90年代にメジャデビューし、骨太な本格派ロックバンドとして活躍。しかしながら2000年に解散を発表しました。

解散発表の仕方がユニークで、当時大きな話題となっていました。

朝日新聞の一面(全体広告)に2000年5月10日に発売になる新譜「HARLEM JETS」の宣伝と共に解散宣言を添えたのです。

最終的には同年のフジロックでラストライブを決行し解散してゆきました。

ベンジーが「最後の曲やるよ」とMCを入れる。その口調はまるで友達や恋人に話してる様に優しく、いかに彼がファンを大切に思っていたかが切実に伝わってくるものだった。と同時に、今日初めてメンバーからBJCがラストであることを表明した言葉でもある。

そしてベンジーはさらに何か思いついたようなしぐさをみせて、もう一言付け加えた。

きっと 世界中で 音楽はすごい大切だと思う

その場面はまるで映画のように美しい1シーンだった。引用元:barks

今となってみれば伝説のバンド。

ブランキージェットシティ解散理由

解散してしまった理由には様々な説があります、

ブランキーが新聞の全面広告で「最高のアルバムができたので解散します」と宣言したということで、

”ブランキーの最大限を出し切った”

”これ以上に良い活動はできない”

など、あたかもバンド限界説から結び付ける人もいるみたいですが、それはあり得ません。

実際にはメンバー間の軋轢、作りたい作品への意識の変化が主な理由です。

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メンバー3人の個性が激しくぶつかる

1995年に初めての海外ライヴを行った際、メンバー3人の個性が激しくぶつかり、そこで一度はバンド解散を考えたそう。

しかし、日本に戻っての代々木公園でのフリーライブで13000人を集めたことに感動し、海外で考えていた解散の案を撤回しました。が、1年後の1995年にはメンバーそれぞれがソロ活動を開始するなど、メンバー内で軋轢が解消されていないことが伺えました。

1998年に発表された7枚目のアルバム「ロメオの心臓」では、当時世界的なバンドに成り上がったばかりのレディオヘッドの影響で、作曲を担当してる浅井さんが打ち込みを駆使するようになりました。


結果、バンド楽器の味で勝負してきた他メンバーから顰蹙を買い、信頼関係が悪くなってしまいました。

実は解散の危機・喧嘩は何度もあった

過去にメンバー同士が喧嘩し、解散になりかけたことは幾度もあったそうです。

有名なのは95年の海外ツアー中と、98年の7枚目のアルバム制作時の2回。しかし、実際には解散を考えたことなど何度もあったそうです。

浅井さんと照井さんの不仲説は強く、浅井さんが「ソロワークとしてやってきたSHERBETSでやったような音はBLANKEYに持ち込むことはねぇ・・遠慮があるんよ。それだけに摩擦が起きないようにしてた」と、バンドとソロの活動の葛藤について語ったこともあったくらいです。

ミュージックステーションに浅井さんが出演した際には「色々あるんですよ」と生々しいコメントをしてました。

時代と変化とバランス崩壊

ブランキーは当時の日本ロックの中で最強ライヴバンドでした。

しかし、若年層はロックを離れポップに行き、2000年代を前にして景気が悪化し純粋にロックを奏でてるだけでは飯を食うのが難しい時代に入ろうとしてました。

それでもブランキーはシンプルなロックバンドであるべき、なくてはならないという葛藤がありました。

そこで作曲してるメンバーの音作りの変化もあったりなので、空中崩壊するのは仕方ないことです。

元々、B’zのようにスタジアムでおっさんになった後も派手にやるタイプのバンドではなかったのです。小箱中箱で生粋のロック好きが好き放題暴れることができるようなバンド、元々は長く続かない運命だったとも言えます。

現在もメンバー同士の交友はある

まるで喧嘩して崩壊したイメージのあるブランキーですが、実は現在もメンバー同士の仲は悪くないみたいです。

未だに同じステージに立ったり、交流が続いてるそうです。

雑誌のインタビューで浅井さんが山口さんのドラマのことについて言及したり、ブランキーの元仲間のことは気軽にネタにしてるみたいです。

照井さんと浅井さんが長年不仲だったと言われてますが、二人とも共通のサーフィンの趣味で仲良く遊んでるみたいです。浅井さんの個展に中村さんが来たこともあったそうなので、元メンバー全員と仲良しやんけ!と。

浅井さんのソロアルバムにメンバーの1人が共演することは稀にありました。プライベートで浅井さんと中村さんが「ガソリンの揺れ方」を披露したこともあったそうです。

しかし、3人だけでステージに立ったことはない解散以来一度もありません。

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メンバー同士、人としては好き?

元々、同じような系統の3人が集まったのがブランキーです。同じ系統の中での個性がぶつかったということで、それが深い傷になってしまったのかなと思います。違う系統であれば「元々あいつと俺は違うし」となりますが、ブランキーは同じだったのですから。

2013年にブランキーの元マネージャーの藤井さんのインタビューがhmvのホームページに載っていました。

そこでラストライブツアーの楽屋での様子のことなどを語っており、メンバー3人の仲が悪かった訳ではないことを裏付けています。

「3人の仲が悪いわけじゃないですよ。解散ツアーでは、たいがいのバンドは、楽屋を別にしたりするじゃないですか。そんなの最初から最後まで一回もなかったですからね。3人が同じところにいる。でも喋らない。喋らないっていうのは、それだけの仲だからじゃないですか。すべてを知り尽くした同士だから無駄な話もしないし、逆にくだらない話もするし。そういう雰囲気のなかで、やはりライヴが始まる直前っていうのは、テンションを高めるようなオーラが出てきますよね。ある種の殺気のような。そういう空間に入って来れるようなスタッフってなかなかいないですよ。普通の人間なら嫌がるっていうか、耐えられないというか。いざ向き合うとなったら真剣を相手にしてるような気分にされますし」引用元:hmv

もしかしたら、ついて行くスタッフにも問題があったのかな?とか考えちゃいますね。

今更どう考えたってブランキーは戻ってこないので、一緒ですけど。

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