今でも時より蒸し返されるミュージックステーションでのミッシェルガンエレファント初出演の回。

そもそも、ミッシェルのようなロックスターが大衆音楽番組に出演することにファンは批判的でありましたが、出演が終わってみると「出て良かった」の大合唱。

いや、正しくはミッシェルをあまり知らなかった層からの「出てくれてありがとう!」の大合唱の方が表現としては合ってますね。

ミッシェルが番組を救った伝説の回として、今後も長く語り継がれるであろう「t.A.T.u.ドタキャン事件」。

目次

ミュージックステーションで残したミッシェルガンエレファントの伝説

簡単に説明すると、2003年6月27日 のMUSIC STATIONにt.A.T.u.が出演し、ミッシェルが初出演した回の話です。

もともとドタキャン癖のあるt.A.T.u.でしたが、オープニングの集合と階段から降りるところにはちゃんと登場していたのは、視聴者は「やっと曲が聴ける」と期待。

しかし、番組はいつも通りに進むがt.A.T.u.は後ろの席にはいない。

そして、本来予定されていた歌唱順が変わるというハプニング。

困惑する出演者たち。

そろそろ出演するであろう終盤にタモリさん「t.A.T.u.早く来~い」が呼びかけ。しかし、彼女らが登場する気配は一切なし。

いつものジングルが流れ一旦CM。
その後も登場する気配はなし。
そんな流れの中、すでに出番を終えたミッシェルのメンバーが「俺らもう一曲歌えたじゃん」と冗談を言ったところ、スタッフから「是非歌ってくれ!」と申し出があり、実際に演奏し、彼女らの開けた出演時間を見事に埋めてくれたということ。
世間では「Mステタトゥー事件」のようにも語られますが、ロック好きな人からすれば「ミッシェルのMステ伝説」であります。

t.A.T.u.のドタキャンとミッシェル代役の舞台裏

8時40分頃にt.A.T.u.の出番の予定となっていました。スタジオは曲順も突発的に入れ替えたりして大混乱。
スタッフらがセットも組み直したりして、生放送ということもあってか、音声にスタッフの怒号が聞こえてしまっていました、

それでもスタッフもギリギリまでt.A.T.u.待ちで調整。が結局は最後の最後まで登場する気配なし。

誰か代わりに歌えたら良かったのですが、みんなオケで歌っていたのでそれは不可能。

が、ミッシェルは唯一の生演奏だったということで、ギリ行けるかも!という状況でした。スタッフが唯一生演奏ができるミッシェルにお願いしたところ二つ返事でOKしてくれたそうです。

そして、ついにCM明けにミッシェルがぶっつけ本番。

タモリさんが、

「やっぱりt.A.T.u.は出てきませんでした(笑) 楽屋から一歩も出てこないということで(笑)」

「急遽!ミッシェルガンエレファントにもう1曲お願いしました!セットはありません!」

女子アナが「よろしいでしょうか?それでは、ミッドナイト・クラクション・ベイビーです。どうぞ!」と紹介し、まさかのもう一曲が実現!

スタジオにはセットがない。そして突然のお願いと言うことで、当然リハーサルも無し。カメラもリハーサルなしということで即興でメンバーを撮っていました。

ミッシェルが披露してくれたのは、代表曲でもある「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」。

視聴者だけでなく、スタッフも出演アーティストも大盛り上がり!

番組は大成功を収めたのです。

最後のミッシェルの見送りの際は、スタッフ全員で頭を下げて一礼したそうです。

それでもひとつも奢らないミッシェルのメンバーに、スタッフは全員ミッシェルのファンになったそうです。

まさに音楽界を虜にした伝説の逸話ですね!

t.A.T.u.はそもそも大物洋楽ではない

確かに日本でt.A.T.uは有名で、あたかも大物洋楽アーティストのような扱いでした。

実際にアルバムもよく売れて、連日ラジオなどのメディアでは彼女らの曲が流されてました。

ただ、日本でやらかした総理大臣の前での座り込みや、ミュージックステーションでのドタキャン事件などで人気は急落。

東京ドームでの公演は半分も埋まらず、ネットオークションでチケットが投げ売りされる始末でした。

冷静に考えると、アメリカのビルボードチャート40位ではありますが、世界的に暴れたような経歴のある洋楽アーティストではない彼女ら。

そもそも大物ではないのに、なぜあんなにもチヤホヤされてたのでしょうか?

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