酒鬼薔薇聖斗(少年A)の顔と本名"東慎一郎"。現在は"西野真"から"木村"に改名?

1996年に兵庫県神戸で起きた「神戸児童連続殺傷事件」

逮捕されたのが当時は保護対象である未成年(14歳)だったということで、世間を震撼とさせました。

捕まる前、犯人は「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り犯罪声明を出していたことで、現在までに「酒鬼薔薇聖斗事件」と呼ばれることが多いです。

事件後から、犯人が未成年でありながらも顔写真や本名などを報道する媒体が登場したり、少年の母親が本を出版したりと、小出しながらも生い立ちや日頃の生活態度が明らかになっていきました。

今日は、酒鬼薔薇聖斗ごと元少年Aの現在について書いてみたいと思います。

目次

酒鬼薔薇聖斗事件とは?神戸連続児童殺傷事件。2人の小学生が死亡した未成年の凶悪犯罪

1997年に兵庫県神戸市須磨区で起きた当時14歳の少年による凶悪殺人事件「神戸連続児童殺傷事件」。

別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれ、犯人の”少年A”に世間が注目しました。

「神戸連続児童殺傷事件」は、近現代の未成年による凶悪犯罪事件の中でも特に多くの人に衝撃を与えました。

当時、加害者の少年Aは14歳という少年で、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗って脅迫状を送りつけました。

児童5人を殺傷し、3人は重軽傷、2人を残虐な手口で殺害し、その中のひとりの少年の首を中学校正門に晒すなどしました。

現在までに日本の未成年犯罪史上最悪と言われている

事件の詳細は割愛しますが、当時に14歳の少年が犯した神戸連続児童殺傷事件は、日本の犯罪の歴史の中でも特殊だと言われています。

過去、「コンクリート事件」「名古屋アベック事件」なども非道な未成年犯罪だと言われてきましたが、いずれも不良複数人による犯罪でした。

しかし、酒鬼薔薇聖斗事件は、1人の14歳の中学生による数ヶ月に及ぶ犯行で、被害者も小学生5人(内2人が死亡)という異質な内容。

捜査班も最初は30代の男性だと勘繰って操作に挑んでいたという背景からも、少年Aの狂気的で複雑な人間性が、世間に大きなインパクトを与えたのです。

逮捕後に週刊誌に本名”東慎一郎”や顔写真が報道される

少年Aは警察に捕まった時点で14歳(中学3年生)だったということで、保護法が掛かり実名での報道はありませんでした。

しかし、一部週刊誌からは顔写真が載せられました。

さらには本名が「東慎一郎」であることも報道されるなど、この保護法を無視した報道は当時物議を醸しました。

また、少年Aの両親は、被害者遺族への賠償金のアテにする為に、『「少年A」この子を生んで』を出版し、書籍の中で、彼の生い立ちの詳細などが書かれました。

2015年には本人が「絶歌」という手記を発売し、自分の人格生成に纏わるエピソードを公開するなど、未成年の犯罪者でありながらも多くの情報が世に出ています。

母はスパルタ教育。父は少年Aに無関心。祖母こそが本当の親

少年Aには2人の弟がおり、長男でした。

両親と祖母と一緒に暮らすという、家族構成は一般的でした。

父親 仕事に忙しく家族との時間がない
母親 長男(少年A)を厳しく躾ける。
祖母 長男(少年A)とっては母親のような温かい存在。祖母の死後、少年Aは疎外感を感じ孤立する。
長男 少年A
次男 少年Aの1歳年下
三男 少年Aの3歳年下(3人目の被害児童と同級生)

少年Aの母親は早くから母乳を辞め、幼い頃から食後の食器の下げ方や敬語の使い方など、早期からかなり厳格な教育を行っていました。

次男が生まれて以降は、少年Aは弟たちと喧嘩する際に手加減なしに徹底的にやってしまうため、母は少年Aに対して体罰を行い、少年Aは母のことを怖がりながら少年時代を過ごしました。

※スパルタ教育の事実については、母が出版した『「少年A」この子を生んで』と主張が異なる部分もあります。

そして、父は仕事が忙しく、家族に構う暇はなく、たまにの休日もゴルフに出掛けてしまうような人でした。

家から猫の死骸や刃物類が見つかり、少年Aが動物の解剖などしてる痕跡に気づいても、特に注意などせずに無関心でした。

祖母は生前に少年Aのことを可愛がり、少年Aも祖母に懐いていました。

少年Aが2015年に出版した「絶歌」では、少年期も写真で唯一破棄せず残したという、祖母の膝に座る自分の写真を載せていました。

おばあちゃんっ子であった元少年Aにとって、祖母は通常の子にとっての母と同じ存在でした。

2015年の書籍「絶歌」では、祖母が亡くなった際のことを「世界じゅうの地面が崩れ堕ち、自分ひとりだけがぽつんと取り残されてしまったような恐怖と不安と孤独を感じた。」と綴っています。

その後の少年Aが歪んだ人格形成になったのも、母に代わる存在を早期に失ってしまったからかもしれません。

少年院退所後に名前を改名。西野真から「木村」に変えた?

少年Aは約1ヶ月で逮捕となり、約6年間を少年院で過ごしました。

2004年に少年院を仮退院、2005年に正式に退院し、その後から現在まで一般人と変わらない生活をしています。

退院後は改名をしており、改名後の名前は「西野真」だったと言われています。

↓少年院を出た後の動きを時系列にすると以下のようになります。

2004年3月10日 少年院を仮退院。
2004年5月頃 身元引受人の里親の一軒家で生活する。
2005年1月 正式に退院。里親の近くでアパートを借りてプレス工として働く
2005年7月頃 プレス工を辞めて行方をくらます。カプセルホテルで暮らす。
2005年12月 建設会社で契約社員として働き社員寮で暮らす
2009年6月 契約社員切りが横行し、元少年Aも切られる。
2009年9月 溶接工になるがすぐに退職
2011年頃 静岡県の浜松で過ごす
2015年 手記「絶歌」を発売しホームページが立ち上がる
2016年 週刊誌に現在の生活姿が報道され、写真から東京都足立区で暮らしていると特定される。

少年Aがどの地域で仕事をして暮らしていたのかは不明で、2000年代はネットを中心に全国で「酒鬼薔薇聖斗が〜にいる」との噂がありました。

噂があった地域は、神奈川県の川崎市や平塚市や小田原市、千葉県の柏や竜ヶ崎、四国の松山や高島平などです。

確実なのは、本人が手記で書いた2011年頃の静岡県の浜松市のみです。

週刊誌の報道で改名が報じられる。「木村」が有望?

元少年Aは2015年に手記を出版しますが、その後は公人になったということで週刊誌の報道も激しくなりました。

かつて逮捕後に少年Aの顔写真を報じて問題なったことがことがありましたが、再び当時と同じ写真が週刊誌に載せられました。

さらにはネット上で本人だと憶測される写真と並べて検証されるなど、以前よりも詳細な検証がされるようになりました。

また、週刊誌が少年Aの現在の本名を「K.M」と報じたことで、以前に改名したと噂される「西野真」から、更に改名してることが知れ渡りました。

ネットでは、現在の名前は「木村」ではないか?と言われています。

結婚して妻子がいる噂は都市伝説?配信者が突撃し女性の声

酒鬼薔薇聖斗さの現在についてよく噂されるのが、”現在は結婚して子供もいる”ということ。

ネットでの書き込みを見てると、この噂を本当だと信じてる方が多いようです。

結婚した相手は、愛媛の松山で出会った女性、もしくはファンの女性との謂れもあります。

噂の根拠を調べてみると、本人が2015年に出版した「絶歌」の中で、「子を持って自分のやったことの罪悪感を実感した」との記述があったとのことでした。

しかし、実際に「絶歌」を読んでみると、子持ちの根拠となるような記述はなく、それらがガセネタであることがわかります。

また、被害者遺族に、現在の自分が結婚して幸せに暮らしているとの手紙を書いたとの情報もありますが、被害者遺族が受け取った手紙の情報を調べても、結婚と結びつくような内容は一切ありませんでした。

配信者が酒鬼薔薇聖斗の自宅を突撃し女性の声?

基本的にはガセネタである元少年Aの妻子いる説。

2016年にも、有名配信者が少年A本人と思われる相手に突撃したことで、再び結婚してる噂が囁かれました。

配信者の野草さんが、ネットで噂される元少年Aが暮らしてると言われる場所に突撃し、その際に自宅から女性の声がしたとして、そのように言われたのです。

しかし、その相手が本当に少年Aだった確証はなく、根拠としてはかなり弱いです。

仮に本当に妻子持ちであれば、週刊誌がとっくに大きく報じてると思うので、その情報が弱い時点で、そのような事実はないように思えます。

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