RADWIMPSのボーカルとして大学生時代から活躍されている野田洋次郎さん。
野田洋次郎さんの現在の個性的な思考は、主に幼少期のトラウマや、学生時代の多感に時期に感じたことが糧になっているとされています。
以前に、いじめられている子・恵まれない境遇を過ごしている学生に対して自身の青春時代のエピソードを交えて熱烈なメッセージを送り話題となっていました。
そんな野田洋次郎さんが過ごしたとされる地元や在籍してた学校に対しても関心の目は向きました。
今回は、野田洋次郎さんの出身高校である神奈川県の私立「桐蔭学園」について書いてみたいと思います。
その手間に中学生時代の野田洋次郎さんについても書いてみます。
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桐蔭中学時代の野田洋次郎(出身小学校)
野田洋次郎さんは5歳から10歳までアメリカで過ごしたそうです。
日本に戻った時は小学生です、出身小学校は東京都世田谷の桜丘小学校です。
お坊ちゃんのイメージが強いですが、小学校は公立ですね。
子供の頃からスポーツも勉強もできたそうです。
野田洋次郎さんは中学から桐蔭の系列に通っていたそうです。当時、中学受験で慶應系列も受けていたそうですが、そちらは不合格になってしまったそうです。
ちなみに桐蔭の中学の方ではお兄さんがバスケ部のキャプテンを勤めていたそうです、意外にも体育会一家でもあるんですね!
ギターは中学の頃から始めたそうです。ギターを弾きながら夜空ノムコウを歌ったことがハマった理由のようです。
中学時代は部活と勉強を真面目に行い、余った時間は全てギターの練習だったそうです。
中学時代は皆勤賞を獲得し、バスケで骨折しても学校に通うほどの優等生でした。
暇な時間はほぼ全部ギターの練習にあててた為、友達と遊びに行くことはほとんどなかったそうです。
演奏力に定評のある野田洋次郎さんですが、そのスキルはこの時代の無茶練の恩恵が強いみたいです。
野田洋次郎(RAD)の出身高校・桐蔭学園の偏差値
野田洋次郎さんといえば、受験時にRADWIMPSの活動を休止し、受験勉強に専念した結果、慶應義塾大学(SFC)の環境情報学部(偏差値70)に合格されました。
2004年から慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス環境情報学部に進学してます。
今後の邦ロックの頂点に君臨するバンドの基盤を作りながらも、名門大学の受験に合格した青春時代は大変充実していたように見えます。
現在の若いロックバンドのボーカルの中でも、高学歴のミュージシャンとして知られてます。
そして、出身高校である桐蔭学園も、神奈川県内でも屈指の進学校です。
偏差値は65と難関校です。
当時の野田さんは真面目に勉強に取り組んでおり、将来はお父さんのような稼げるサラリーマンになりたかったそうです。
高校1年生の頃は成績が良く、全体で2000人いる生徒の中で、成績は20位に入っていました。先生からは東大だけを目指せと言われていたそうです。
入学したばりの時期はバンドでメシを食うことは想像もしてなかったそうです。
桐蔭学園時代はバスケ部で活躍
桐蔭学園は野球部やサッカーの名門です。どの部活も豊富な環境と資金源でハイレベルな成績を残してます。
野田洋次郎さんはバスケ部で活躍されていました。身長180センチと長身ですが、きっと身長を生かした活躍をしていたのでしょう。
バスケの練習走り込みが多いので、当時からボーカルをやっていた野田洋次郎さんは肺活量を効率的に鍛えることができたことでしょう。
高校時代にバスケの影響で指が曲がってしまったらしいです。
野田さんが所属していたバスケ部は、野田さんの代から推薦を取り始め強くなったそうです。
部はインターハイに出場するほど強かったそうですが、野田さんがバンドに専念するために退部してしまったので、本人はインターハイの試合には出てないみたいです。
野田洋次郎の高校時代の過ごし方
野田洋次郎さんは学校のことが好きではなかったそうです。友人が理不尽な理由で退学処分を受けたのが理由だそうです。
バスケ部時代は夜の7時か8時まで練習。そして夜の9時からスタジオに入って11時や12時まで町田のスタジオで練習していたそうです。
バスケ部を退部した後は、あまり授業には出ずに友達とファミレスに行ったり、彼女と公園に行ってたそうです。
横浜という土地柄、サボる場所はいくらでもあったことでしょう。
また、高校時代からお酒も飲んでいたそうです。スプレーで落書きなど、当時のやんちゃな若者の文化にも触れていたようです。
真面目に勉強していなかったということで、受験には大変苦労されたそうです。それこそ、バンド活動をお休みしてまで勉強に取り組んでいたそうです。
その甲斐あってか、無事にSFCに合格することができました。
あだ名は「野田さん」「のでぃー」「半分女」
桐蔭学園に在籍してた時代の野田洋次郎さんのあだ名は、
「野田さん」
「のでぃー」
「半分女」。
半分女の由来は、当時から野田さんが中性的であったことが理由だそうです。
いろんなあだ名を付けられて、友達がたくさんいて充実した学園生活を送っていたことが想像できます。
桐蔭学園は共学だが男子部と女子部の距離が遠い
桐蔭学園は共学ではありますが、男子と女子の距離が遠いです。
クラスが男女混合になるのは上級生になってからで、下級生のうちは実質男子校にいるような感覚です。
学校の敷地自体も広く、学園感は強いですが、温もりを感じない校舎です。
出身者を見ても個性派が多く、あまり人のことを気にせず過ごせるからだと言われてます。
もし、小さな高校に通っていたとしたら、今の野田さんは存在してないかもしれません。
桐蔭学の制服と野田氏の卒アル画像
野田洋次郎さんが在籍してた名門高校・桐蔭学園。
きっと制服も壮絶なほどカッコ良いと思われますが、実際はごく普通のブレザーです。
写真は今年2019年に野球部を甲子園に導いた森主将です。
ちなみに野田洋次郎さん。
卒業アルバムらしいですが、中学時代なのか、高校時代なのか謎です。
校則が厳しいので、ネクタイが曲がってるだけで注意をされるそうです。
髪を染めたりピアスを開けたりするのも勿論ダメです。