野田洋次郎さんの影響は音楽だけではありません。
雑誌やメディアでのインタビューや、ライブでのMC、SNS上での発言も日々注目されています。
彼の頭の中がどうなっているのか、良くも悪くもほっとけないのが野田洋次郎さんの魅力でもあります。
時にはSNS上から物議を醸すネタを投稿してしまったりもします。
基本的には異論に対して真っ向から自分の意見を述べる野田さんですが、過去には削除してしまったツイートもあります。
逃げたというよりも、どうしても誤解されてしまいそうな、ギリギリな内容でした。
目次
野田洋次郎が消したtwitterの炎上ツイート
野田洋次郎さんは2018年の5月1日に、こんなことをTwitterに投稿しました。
「昨日のツイートを一つ削除しました。
思慮が足りませんでした。嫌な想いをした人、すいません。」
あの野田洋次郎さんが一度書いて投稿を消してしまうなんて珍しいケースです。
一体どのようなことを投稿し、どういう理由で削除したのでしょうか?
当時の関連ツイートを遡って検索してみると、どうやら中国関連の投稿だったそうです。
一部の方は、野田さんがそのツイートをした時点で「炎上すると思った」と書き込み、人によっては悪く誤解されてしまう内容であったことを憶測されていたみたいです。
しかし、実際に当時の野田さんが投稿した内容を見てみると、そこまで過激ではないですし、そこまで大炎上というわけではありませんでした。
中国人的には気分が悪い?
野田洋次郎さんがそのツイートを書いた5月上旬、RADWIMPSは中国公演の最中でした。
野田氏が呟いた内容は主に中国の空と、環境問題を連想させる内容でした。
たまたまその日が、満月の夜なのに中国の空は大気汚染で空気が濁っていて、ちゃんとした満月が見れない中国の人はかわいそうだ。
みたいな内容でした。
まるで、「綺麗なはずの空が、大気汚染のせいで見れない中国ってなんだ」と、嫌味な方向に受け取ってしまった方々がいたみたいです。
しかし、実際にはそのような嫌味な意味は含まれておらず、中国人も同じ大気汚染の被害者であるという意味での「かわいそうだ」だったと解釈できます。
HINOMARUでの炎上事件
その中国の空に関するツイートでプチ炎上した同じぐらいの時期に、シングル「カタルシスト」のカップリング曲「HINOMARU」が軍歌のようだと大炎上してました。
その時も野田洋次郎さんは自身のツイッター・インスタにて、
「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」
「(軍歌だという意図は)1ミリもありません」「色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」
と説明されてました。
2018年のライブではHINOMARUは堂々と披露されていましたが、曲が始まる前には、この曲を作った理由に右や左といった意味はないと説明をしていました。
また、中国に住むファンの子が、親にラッドのライブに行くなと言われたというエピソードも語っていました。
中国でも圧倒的な人気を誇るRADWIMPSですが、2018年は中国のファンとの絆を邪魔する嫌な炎上が多くあったように感じます。
漢文の授業ってまだあるの?
野田洋次郎さんのツイートはちょっとしたことでもネットニュースになりがちですが、最近では学生時代に習った漢文について意見して話題となっていました。
Twitterで野田さんは「漢文の授業ってまだあるの?」と切り出し、「あれって本当意味がないと思うんだけど、なぜいまだにあるんだろう」と学生時代から存在に意味を感じてなかったことを呟きました。
《普通に中国語で読める漢文を教えてほしかった。レ点とか一二点とか使って無理に日本語で訓読できるようにすることにどれだけ意味があるんだろう》
そして《受験や試験のための科目な印象。前時代的に感じる》とつづっている。
またファンらとのやりとりのなかで野田は、漢文を学ぶことについて《訓読の勉強ってことか。中国語で中国語の古典を読めるようにそのまま教えてほしかった。訓読はできるから》《ひらがなもカタカナも日本語のすべては中国語が大元になっているが故に、英語よりもまずその源となる言語を知ることはとても大事だと思うのです。ただ、その方法論がなんか自分にはしっくりこないという感じ》と持論を展開している。
「現代人が勉強する意味はあるのか」といった声がしばしば上がる漢文。昨年7月に告示された「高等学校学習指導要領解説 国語編」で文科省は「古来,我が国は, 文字,書物を媒介にして,多くのものを中国から学んだ」とし、「その結果,漢語や漢文訓読の文体が,現代においても国語による文章表現の骨格の一つとなっている。漢文を古典として学ぶことの理由はこの点にもある」と述べている。
野田のツイートは1.5日ほどで5.6万回の“いいね”を記録するなど大きな反響を呼んだ。《大多数の人にとって卒業後生きる上で、ほぼ完璧と言えるほど使わない科目よりも、若年層が生きる上で役立つ科目を作るべき》《もう既に現代語訳もされている限りある漢文の書をわざわざ学生が読み解く必要性はほぼ無い》といったコメントも上がるなか、それぞれの考える“漢文授業の意義”として野田の元にはこんなリプライが届いている。
《伝統的に漢文を読み下して、日本語として使い、そこから成り立ってきた言葉や考え方がある。また、将来、みんなのうちで興味をもった誰かが江戸時代とか、もっと昔の思想とかを勉強しようとした場合、この知識が重要になると思う》
《漢文の授業って、文法的なものを学ぶだけじゃなくて、それよりも先人達が経験してきた教訓や、思想を学ぶことも一つ、漢文を学ぶ意義な気もします》
《むしろ『中国語を学ばなくても中国の古典が日本語で学べる』から意味があるのではないでしょうか……学ぶ価値がある漢文を日本語しかわからない人にも伝えられるように、ってことだと思います。後世に残していくために、漢文を日本語で読む法則を作り上げたのは、先人達の苦労の結晶です》引用元:ヤフーニュース
それでも最後に野田さんは、
「何が将来役立つか、何の意味があるか、この国の教育のあり方はそもそも正しいのか、疑問はきっと尽きないし学生の時僕も色んな葛藤がありました」とし、
さらに、「でも「やれるだけやってみた」という経験は間違いなく価値があると思います」と、
漢文のような腑に落ちない学習に対しても、勉強するだけすることに意味があると締めました。