人気バンド「Official髭男dism」の最年長メンバー・楢崎誠さん。

ヒゲダンではベースとサックスというポジションでバンドを支えています。

世間の認知はボーカルの藤原聡さんやギターの小笹大輔さんですが、タレントとしてのポテンシャルは間違いなく楢崎誠さんが一番です。

性格の良さだけでなく、踏んできた経歴、自身のラジオ番組「ロヂウラベース」のコンテンツ力を見てみれば、とても異色のミュージシャンであることが分かります。

目次

楢﨑誠の経歴(wiki風)。年齢・身長・読み方・出身地(広島福山)

本名(芸名と一緒):楢﨑誠(読み方:”ならざき”まこと)

生年月日(年齢):1989年3月18日(2021年11月時点で32歳)

血液型:O型

身長:169.8センチ

出身地:広島県福山市

出身高校:広島県立神辺旭高等学校

出身大学:島根大学教育部(軽音楽部所属)

持っている資格:音楽の教員免許(大学時代に取得)

職歴(バイト含む):島根県警察音楽隊でサックスを吹く。飲食系のバイト。

ヒゲダンでの担当楽器:ベース、サックス、コーラス、シンセサイザー。

あだ名・ニックネーム:ならちゃん

所属事務所:ラストラム・ミュージックエンタテインメント

所属レーベル:IRORI Records

楢崎誠の読み方・漢字の間違いが多い。「ならざき」で「﨑」の方が正解

楢崎誠さんの名前に関しては、読み方や漢字の間違いが多いです。

「ならさき」と呼ぶ人がたまにいますが「ならざき」が正解です。

そして苗字の漢字は「﨑」が正解で、山崎などの「崎」は間違いです。

ネットで検索するとどちらの漢字や読みでもヒゲダンの楢﨑さんの情報が出ますが、正しくはないので頭に入れておきましょう。

楢崎誠の年齢。メンバー最年長!私生活では年上の嫁

楢崎誠さんはメンバー最年長です。

ボーカルの藤原聡さんよりも2歳年上。

ドラムの松浦さんよりも4歳年上。

ギターの小笹大輔さんよりも5歳年上。

島根大学で藤原さんと軽音部で出会った際、当時の藤原さんは尖っていながらも楢﨑先輩の実力を認め、「一緒にバンド組んでください」と声をかけたそうです。

当時の藤原さんの生意気感すごいですね。そしてそんな彼を受け入れた楢﨑さんの優しさも素晴らしいです。

ちなみにOfficial髭男dismというバンド名を決めたのは楢﨑さんらしいです。最年長の特権が生かされた話は貴重です。

楢崎くんがバンド名を考えてたときに、誰だか分からないんですけど髭もじゃのギタリストポスターを見たらしくて、その瞬間に「Official髭男dism」っていうバンド名が丸ごと降ってきたみたいなんですよね。それで、そのままそれがバンド名になりました!

バンドでは最年長ではありますが、2020年に結婚した嫁・山本沙也加さんは楢﨑さんとよりも2歳年上です。

日頃、バンドでお兄さんやってる分、私生活では年上の女性に甘えたかったのかもしれませんね。

楢崎誠の身長169.8センチ公表の誠実さ。ヒゲダンで2番目に背が高い

楢﨑誠さんの身長は好評で169.2センチです。

あと2ミリで170センチということで、公表も170センチで良さそうですが、あえて正直な数字を言う辺りが素直でかっこいいですね。

ちなみに2020年に結婚した山本沙也加さんは結婚コメントで楢﨑さんのことを「誠実な方」と紹介していました。

身内の人も認める正真正銘の紳士であることが証明されてます。

楢崎誠の身長が大きく見える?ステージを出ると普通に見える

楢崎誠さんはヒゲダンでは2番目に背が多いきいです。

一番大きいのはドラムの松浦さんの178センチですが、ライブでは基本的に座ってるので大きさを感じることは少ないです。

ステージ前方のフロントに立つ藤原さんが164センチ、ギターの小笹さんが158センチとかなり小さいので、約170センチの楢﨑さんでもかなり大きく見えます。

それでもよそで大きな人と並ぶと小さく見える不思議です。

180センチある三浦春馬さんが真ん中にいるだけ全然違います。

なんかジャニーズの子みたいで可愛いです。

楢﨑誠の実家lは広島県福山市。お父さんはジャズミュージシャン?兄弟は?

ヒゲダンメンバーのほとんどが島根県出身でありますが、楢﨑さんだけは広島出身です。

楢﨑さんは地元の広島県立神辺旭高等学校を卒業した後に島根大学の教育部に進学します。

大学の吹奏楽部で一緒にヒゲダンを結成することになる後輩の藤原聡さんらと出会います。

楢崎さんも島根県での生活経験があるので、島根にも思い出がありますが、彼のいう故郷は広島県です。

ヒゲダンのセカンドアルバムに収録されている楢崎さん作詞作曲の「みどりの雨避け」は、楢崎さんの実家近くの飲み屋や商店街のことを想って書いた曲だそうです。

「"行きつけバー"的なこと考えながら、行きつけになってる。イコール、故郷みたいなものと似てて、もう第二の自分の場所になっちゃってるじゃないですか。そういう感覚はあるんだと思うんですよね。だからDメロで自分の少年の頃を思い出してるのも、たぶん時代時代の故郷感みたいなのも入ってるのかもしれないですね」

楢﨑さんがノスタルジーな歌詞を書くことがあれば、島根よりも広島のことを思い出してることでしょう。

楢崎誠はお父さんも音楽の仕事?兄弟なしの一人っ子?

楢﨑さんは島根大学の教育学部で音楽の教員免許を取得しており、音楽に対する基本的な知識には精通しています。

父親がジャズミュージシャンで小さい頃から音楽に囲まれて育ったそうで、サックスの方が大本命の印象です。

楢崎さんがベースに目覚めたのは16歳の頃で、友人の影響でロックに目覚めたそうです。

ギターの小笹さんは兄貴の影響でギターを始めたそうですが、楢﨑さんの場合は兄弟ではなくて友人なんですね。

僕が音楽を始めたきっかけは、中学の音楽の授業で、何の楽器を使ってもいいから発表会で何か披露して下さいって言われて、友達と一緒にアコースティック弾き語りをしたんです。そしたら、なんかそれが思いのほか好評で。“いいじゃん! やるじゃん!”って言われて、ちょっといい気分になったんです(笑)。そのあと高校に上がってから、その弾き語りをした友達と一緒にバンドをやることにしたんですけど、ソイツのほうがギターが上手かったんで、僕はベースをやることにしたんです。

大学を卒業した後は警察の音楽隊に所属して仕事をしていたそうです。

僕は、バンドを組んだ当初はフリーターをやっていました。大学の教育学部でサックスを専攻していたこともあり、その後、警察の音楽隊に嘱託職員で入り、サックスを吹く仕事と、事務みたいなものをさせてもらっていました。

少年時代、青春、社会人時代、どこでも音楽があるのが楢﨑さんの経歴です。

おすすめの記事