宝塚出身の大女優・八千草薫さんが2019年10月24日に死去されました。
死因はすい臓がんです。
以前に、すい臓がんを理由に仕事を辞退したとして大きなニュースになりましたが、その後も闘病生活を続け、本人は現場復帰を誓っていたそうです。
亡くなった今になって、八千草薫さんの病気になってからの戦いの日々が脚光を浴びてます。
目次
八千草薫 死去(死因・すい臓がん)
八千草薫さんは2年前の2017年の末に膵臓にがんが見つかりました。
翌年の2018年1月に手術を受け、その後は体調は良好でドラマ収録や舞台『黄昏』の主演もこなすなどしてましたが、今年2019年に入って肝臓にがんが見つかりました。
肝臓ガンが見つかった後は、2019年4月放送開始予定のドラマ『やすらぎの刻〜道』の主演を降板していました。
その後の八千草薫さんは休業を発表し、治療に専念するとしてました。
今年の5月26日、八千草薫さん本人んが理事を務める日本生態系協会のイベントに出席し、そこでがんを発表後初めて公の場に登場し、ファンを安心させていました。
必ず現場に戻ってくるとファンは信じていたことでしょう・・・。
「宮本武蔵」「ディア・ドクター」などの映画や「岸辺のアルバム」をはじめとする名作ドラマに出演した女優の八千草薫(やちぐさ・かおる、本名谷口瞳=たにぐち・ひとみ)さんが24日、午前7時45分、膵臓(すいぞう)がんのため死去したことが分かった。88歳。大阪府出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
昭和を代表する名女優が1人、令和が始まった年に静かに逝った。昨年2月9日に所属事務所の公式サイトで、18年1月に膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、19年に入って肝臓にもがんが見つかり、闘病中であることを公表していた。
八千草さんは、倉本聰氏(84)が脚本を書き、19年4月にスタートするテレビ朝日の帯ドラマ「やすらぎの刻~道」に出演する予定だったが、治療のため降板。「より一層楽しんでいただける作品に参加できるように帰ってまいります」と復帰を誓っていた。引用元:Yahoo!ニュース
すでに葬儀と告別式は終えられてるそうです。
仮に関係者出席となった場合は、とんでもない規模になっていたことでしょう。
あれだけの大女優が、静かに眠ってしまうなんて・・・。
八千草薫の経歴・プロフィール
芸名:八千草薫(やちぐさ・かおる)
本名:谷口瞳(たにぐち・ひとみ)
旧姓:松田瞳(まつだ・ひとみ)
生年月日:1931年1月6日
出身地:大阪府
出身校:聖泉高等女学校ー宝塚音楽学校卒
所属事務所:柊企画
旦那:谷口千吉(映画監督)
1947年に宝塚歌劇団に入団。5年後の1952年には「源氏物語」で若紫を見事に演じて大ブレイク。
その美貌と清純派の娘役として人気者に、当時の雑誌企画の「お嫁さんにしたい女優」で何年も1位を獲得し、日本女性の理想形と言われていました。
1951年に「宝塚夫人」でついに映画デビュー。その後は多くの映画に出演し活動の幅を広げました。
ヒロインお通を演じた1954年の「宮本武蔵」(監督稲垣浩)では、作品が米アカデミー賞で名誉賞(外国語映画賞)を受賞。その人気は海外まで広がりました。
1955年の日伊合作の「蝶々夫人」(監督カルミネ・ガローネ)で主役の蝶々さん役に起用され、大きな話題を呼びました。海外での成功を夢見る日本人にとっては最高の布石でありました。
彼女は宝塚を1957年に退団。その後に本格的に映像の世界に進出。
代表作の「花の生涯」(63年)「独眼竜政宗」(87年)などのNHK大河ドラマは今でも名作。
当時はおっとりした良妻賢母のイメージが強かったですが、1977年の「岸辺のアルバム」で恋に揺れる主婦役を好演し、役の幅も広がりました。
平成に時代が変わっても多くの作品で存在感を示し、大女優の地位を不動のものとしてました。
八千草薫の若い頃の美しさ(写真)
昭和、平成と活躍された大女優の八千草薫さん。
若い頃はみずみずしくも美しいビジュアルが世間に大受けしました。
宝塚出身にしては柔らかい印象のあるソフト系美人ですが、宝塚らしい芯の通った強さのある、とても魅力的な女性でした。
歳を重ねた後も、変に若作りはせず、年相応の優しい美しさを誇りました。
その自然体な美しさがあったからこそ、平成までの優しいお母さん役などをバッチリ演じることができたのでしょう。
八千草薫の現在の旦那と子供(画像)
八千草薫さんといえば1957年に映画監督の谷口千吉さんとご結婚されたことで有名です。
結婚した時点で八千草薫さんは26歳で、旦那の谷口さんは45歳。16歳の年齢差がある夫婦でした。当時は悪い噂もありましたが、その後はどこの夫婦よりも信頼し愛し合った関係を築きます。
当時から大女優は結婚してもすぐに家庭をダメにするイメージでしたが、八千草薫さんは旦那さんと長年良い関係を築きました。
八千草薫さんは谷口さんが亡くなる2007年まで連れ添いました。
その年は奇しくも結婚50周年。美しい夫婦生活を完結させたということで、多くの同年代の女性から尊敬の声が出ていました。
その後も八千草薫さんは再婚することもありませんでした。
子宝には恵まれませんでしたが、本当に愛した人と最後まで連れ添ったんだなと思うと、八千草薫さんの女優に一生懸命だった生涯に大きな花を添える形になって美しいです。
八千草薫さんの死去に対する世間の反応
・えー!まだまだお元気なイメージなのに…
いつまでもお綺麗な凛とした女優さんでした。
御冥福をお祈りします。
話は変わるが
吉永小百合が74歳ってのも、仕事の流儀を見て
驚いた…
・最近「皇潤」のCMで見なくなったと思ったら…
自分にとっては、向田邦子さんの『阿修羅のごとく』の印象が強いです。
多くの良い作品を残していただき、ありがとうございました。
・上品で凛としていて、お茶目で…慕っていた同業の方も多いと思います。
残念ですね…。
ご冥福をお祈りいたします。
・本当に上品と言う言葉を人間にした様な方でしたね。
その努力も大変なものだったと思います。
良い意味で生涯を演じきりましたね。
お疲れ様でした。