KANさんの名曲「愛は勝つ」の編曲を担当した大物音楽プロデューサーの小林信吾さんが死去されました。

62歳の若さでした。

2020年10月9日に小林さんの所属事務所が発表しました。

2017年に癌を発表しましたが、同年10月には活動再開。

しかし、2020年に再び活動休止を発表してからの死去の発表でした。

目次

小林信吾の死因は食道癌。10月4日(命日)に死去

小林信吾さんは2017年6月に食道がんと診断されて療養していました。

同年10月から活動を再開しましたが、2020年6月にパーソナリティーを務める、FMとやま「小林信吾のSoliloquy~夜のひとりごと~」の休演を発表し、リスナーからは小林さんの体調を心配する声が多くありました。

音楽プロデューサーでキーボード奏者としても知られる小林信吾(こばやし・しんご)さんが4日に死去したことが分かった。62歳だった。9日、所属事務所が小林さんの公式サイトで発表した。  

公式サイトで「弊社 小林信吾は 2020年10月4日夜に自宅にて62歳で逝去いたしました」と発表。「2017年の食道がんの手術から、一度は復帰も出来て頑張っておりましたが転移がみつかり、療養していました。まだこれからの年齢でしたので、残念でなりません。ここに生前のご厚情に深く感謝するとともに謹んでお知らせ申し上げます」とつづった。引用元:Yahoo!ニュース

亡くなられたのは2020年10月4日だったということで、死去されてから5日後の発表でありました。

小林信吾の経歴・学歴・プロフィール

名前:小林信吾(こばやし しんご)

出身:東京都中央区

生年月日:1958年8月22日〜2020年10月4日

出身大学:玉川大学

職業:作曲家、編集者、音楽プロデューサー。

小林信吾の代表作

小林さんは玉川大学在学中からキーボード奏者として活動していました。

1991年にシンガーソングライター・KANのシングル「愛は勝つ」の編曲を担当し、同曲で日本レコード大賞を受賞しました。

2004年からはシンガーソングライター・平原綾香さんのプロデューサーを務めたことでも知られてます。

1999年4月にはつんくさんプロデュース浜崎あゆみさんのシングル7作目『LOVE〜Destiny〜/LOVE〜since 1999〜』(「浜崎あゆみ/浜崎あゆみ & つんく」名義)の編曲を前嶋康明さん共に担当しました。この曲はシングル曲オリコンランキング初登場一位」を獲得しました。

小林さんは2001年には浜崎あゆみの音楽監督を務めました。

自身も1994年と2019年にアルバムをリリースしてます。

小林信吾の死去への反応

若かりしあの頃、『愛は勝つ』というあまりにクサすぎる歌詞に反発していたものだが、歳を重ねるとやっぱり最後に『愛は勝つ』ものだと思うようになった。御冥福をお祈りします。

これはショック。作曲家、アレンジャーとして日本のポップスを創り支えてきた、本当の職人さん。80年代からゼロ年代、そして今に至るまで、CDや歌番組のクレジットで小林さんの名前を見ない日はないと言っていい。関ジャムみたいな番組で追悼特番をやってほしい。失われたものはあまりにも大きい……。

松本伊代の恋のノウハウはギターとブラスとキーボードが渾然一体となった
いいアレンジでしたご冥福をお祈り致します

70~80年代の洋楽をうまく取り込んでアレンジされた曲も多かったですね。洋楽ファンなのでそういうフレーズ見つけてはニヤッとした思い出

また、好きなアーティストが亡くなってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。最近、自殺も含めて若い方の訃報が多いですね。長寿社会とは裏腹に、生きにくいストレスをためやすい社会が病気を増やしているような気がします。

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