2000年代には紅白に出場するなど、売れっ子ラッパーの仲間入りを果たしていたSEAMOさん。
しかし、ここ近年はすっかりと名前を聞かなくなりました。
現在のSEAMOさんがどうしているのかというと、まさかの馬主!
音楽活動も続けているみたいですが、現在はどのような生活を送っているのでしょうか?
目次
SEAMOの現在は馬主!
SEAMOさんといえば、過去にはシーモネーターとして活動するなど、名前を変えて色々と苦労をされたイメージ。
やっとの思いで売れましたが、紅白に出場した後は、一気に人気が落ちてしまいました。
まるでジェットコースターのような音楽人生。
当時は自分に物が言える人がいなかったことが、自分の音楽が堕落した要因だと考えられてるようです。
馬主になった現在も、音楽活動自体は続けているみたいですが。
ちなみに、なぜ彼が馬主になったかというと、それは近年人気の競走馬・オグリキャップの存在がきっかけだったそうです。
なんと、オグリキャップがデビューした地方競馬場は、シーモさんの家のすぐ近くにあったのです。
若手時代の田舎出身の無名馬であったオグリキャップが、都会のエリートを追い抜いていく姿に感銘を受けたそうです。
そんなオグリキャップの姿を見て、シーモさんは自分らのヒップホップドリームと重なるものもあったとして馬主になることに興味を持ったそうです。
SEAMOの場合、馬を「共同所有」するスタイルだ。
「共同馬主、一口馬主なんですよ。例えば、2000万円の馬がいるとして、400人で割ると、1口5万円。それくらいの金額で馬に出資ができて、毎週その馬の近況も得て、楽しむ。まあ、どっぷりハマっていきまして(笑)。そんなに多くは儲からないんですけど、馬が『見える』ようになっていくんです。そうすると、たまに当たりの馬も引けるようになったり」
競馬を通して、多くの友達にも恵まれた。
「年に何回か、馬を見るために一緒に北海道に旅行するのがライフスタイルになりました。競馬の予想番組に出たり、競馬場でライブしたこともあります。下手すれば、その辺を歩いてるより、競馬場にいるほうが声かけられるんじゃないかっていうくらい(笑)」
「一頭馬主」になろうと思ったことはないのだろうか。
「もちろん憧れはありましたけど、知れば知るほど、リスクも大きい。北島三郎さんがキタサンブラックで大儲けしたと思われてますけど、山ほど損をしてきて、やっと取り返したくらいだと思いますよ。僕もよく『儲かってるんですか?』って聞かれますけど……儲けじゃなくて、ロマンのためにやっているわけで」
ロマンのためとはいえ、元手がなければ続かない。馬の餌代もかかる。デビューして走り出すまでに1年は待たなければならないともいう。コツは、走らない馬を見抜くことだ、と、SEAMOの口調には熱がこもる。
「走る馬と走らない馬っていうのは、明白です。音楽も同じですよ。やればやるほどいろんなことが分かってくる」
つらいことがあった時は、馬に逃げるようにしていたSEAMO。アップダウンの激しい自身の人生も、共同馬主という趣味に「救われた」という。現在は、「馬を見抜けるヒップホップアーティスト」として、唯一無二の地位を確立しつつある。引用元:Yahoo!ニュース
ラッパーとしてのブレイクも友人たちに恵まれたと謙遜するシーモさんですが、馬主としての成功も、周囲の仲間たちに救われたからだと話されています。
過去も現在も難しい仕事で成功されているのは、シーモさんの人間性の良さがあるからでしょうね!
SEAMOの現在に対する反応
・途中まではしっかりした話しなんだけど、後半は完全に馬の話w
でもSEAMOって自分を客観的に見れてるね。
ラブソングのラップもルパンも早い者勝ち、ただ「自分はそのポジションに立てるスキルはなかった」って一応あれだけ売れた人で余計なプライドあったらなかなか言えないよね。
・CDショップで働いていた時、色んなアーティストが来店しましたが、SEAMOさんが一番謙虚で礼儀正しい人でした。応援しています。
・SEAMOとBENNIE Kの掛け合いとか好きだった。この間CD整理していて懐かしくなったので、タイムリーな記事だった。あまりビジュアル変わってないね・
・福岡人ですが、SEAMO大好きです!この人は、自分って言う軸がブレない。ホントに苦労してるんだと思う。シーモネーターの時からの下ネタ系もブレずにやってるし、ずっとやり続けて欲しいです!個人的にはAZUと結婚するとか勝手に思ってました(笑)
ロッキー・ジョンソンが死去!死因は不明
近年、プロレスラーからハリウッド俳優へ華麗な転身を遂げたザ・ロックですが、その父であるロッキー・ジョンソンさんが亡くなられたそうです。
70年代から80年代のプロレスを観てきたおじさま達にとっては思い入れの強いレスラーだったとして、ネットで話題になっています。
元プロレスラーのロッキー・ジョンソンさんが15日に死去したと、米国の世界最大手プロレス団体WWEが発表した。75歳。死因は不明。
ジョンソンさんは64年に出身地のカナダでプロレスデビューし、米国に進出。ドロップキックの名手で空中殺法を武器に70年代にはNWA世界ヘビー級王座に何度も挑戦し、83年11月にはトニー・アトラスと組んでWWF(現WWE)タッグ王座を獲得するなど、数多くのタイトルを手にする活躍を見せた。08年にはWWEの殿堂入りを果たした。70年に日本プロレスに初来日。80年には新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木とも対戦した。引用元:Yahoo!ニュース
死因は不明のようですね。
ロッキーさんは過去に猪木さんとも対戦し、10年前にWWEの殿堂入り。
まさに生ける伝説でありました。
近頃はYouTubeにて昔のプロレスの試合が観れたりするので、若いプロレスファンにも知られてるみたいです。
ロッキー・ジョンソン死去に対する反応
・中学の頃、田舎にプロレスが来て、誰かにサインをもらおうと街中を探索していたところ紙袋を抱えたロッキージョンソンとバッタリ。怖くて緊張して何も言えずサイン色紙とサインペンを差し出したところ、無言でペンのキャップを取れと。にこりともしなかったから凄く怖かった思い出があります。でもサインは丁寧に書いてもらいました。
・つい先日ナガサキ&ポーゴvsブロディ&ロッキージョンソンの映像を見たばかり。みんな亡くなってしまって寂しい。
・ペドロモラレスとのダブルドロップキックは秀逸でした。
お悔やみ申し上げます。