肺炎によって亡くなられてしまったロックな男・内田裕也さん。

芸能界での内田裕也さんのイメージは大物扱いでありますが、今の若い子は若い頃の内田裕也さんを知りません。

内田裕也さんの素行を見てるとクロムハーツを愛用したり、大勢の弟分を引き連れて遊んでたり、かなり豪勢なイメージです。

樹木希林さんに関しては女優業で主演級の仕事を続けているので、生活が豊かなのはわかりますが、正直、内田裕也さんの収入源の方は謎です。

なぜ内田裕也さんは老後まであれだけ好き放題するお金があるのか?自分なりに検証してみました。

目次

内田裕也の収入源

内田裕也さんは若い頃に大したヒット作はありませんが、ビートルズの前座を務めるなどの偉業を成し遂げてます。

また、俳優業に関しては70年代から90年代まで元気に活躍された前例があります。

昔の内田裕也さんであれば、俳優メインで歌手業では小遣い程度に稼げていたのかなというのは安易に想像できますね。

過去の作品作・楽曲の権利収入

内田裕也さんはバンドマンとしては過去にシングル14曲、アルバム9枚をリリースされています。

さらには俳優としては60年代から90年代まで40本以上の作品に出演。2000年代以降にも俳優の仕事はちょいちょいされております。

俳優としては一番最後には2018年の映画「星くず兄弟新たな伝説」へも出演されています。

頻繁にテレビやラジオで流れる名曲や、レンタル数が多い映画などはありませんが、少なからず小遣い程度の収入は入ってるはずです。

また、本も出版されてますね。

しかし、それだけではあの豪遊に使えるお金にはなりませんね。

女性からの収入?

内田裕也さんは過去に女優の島田陽子さんと不倫していたことで知られてます。

その当時の話では、内田裕也さんは島田さんがお金を頻繁に受け取っていたそうです。

当時の裕也さんは樹木希林さんと既婚者でありながらも、やりたい放題やってたそうです。

その頃の裕也さんはお金に困ってたらしく、その割りには不倫相手の島田さんと海外などで豪遊。当時は彼女のお金をあてにしていたと思われます。

その後も内田裕也さんには定期的に不倫してる相手がいたので、もしかしたら島田さんと同様に、ある程度のお金のお助けがあったのかもしれません。

音楽機材のデザインなど音楽関係

内田裕也さんは日本ロックの原点にいる方です。

過去から現在までに音楽関係の仕事をいくつもやってきました。

機材関係の仕事にも関わっており、その辺りの収入もあったようです。

日本初のロックフェス「ニューイヤーロックフェス」の主催と出演

内田裕也さんがずっと続けてる「ニューイヤーロックフェスティバル」。

実は車椅子になった今年2019年にも開催され、裕也さんは出演も果たしてます。

今年も日本、イギリス、台湾、韓国と世界規模で開催され、日本の出演者には毎年陣内孝則さんや中村獅童さんなど豪華なキャストが選ばれてます。

売上げや収入はどのような形になってるかわかりませんが、このイベントからの収入も少なからずあると思われます。

樹木希林と同居

近年、内田裕也さんは希林さんと一緒に豪邸にて暮らしていました。

長く別居が続いてましたが、最後の数年間は最愛の嫁さんと過ごせて良かったです。

この豪邸はバーカウンターが付いてたろ色々と凄いです・・・。

正直、この豪邸を建てたお金は完全に樹木希林さんだったと思います。そして基本的な生活費は希林さんが出してくれてたのかな?と思われます。

売れっ子タレントの子供達の仕送り?

これはあくまで憶測ですが、現在の時点で希林さんとの間に生まれた子供たちは一人前の大人になっています。

もしかしたら仕送りの方もそれなりにあるのかな?と思われます。

年金収入

現在までの内田裕也さんの年齢だと年金を受け取ることができます。

裕也さんにとっては小遣い程度にしかならないと思いますが、立派な収入源の1つだと思います。

本木ハウスの不動産収入

樹木希林さんは生前から不動産をたくさん持っていました。不動産の関する知識はかなりのもので、若い頃から不動産が好きで勉強されてきたそうです。

第32まである「本木ハウス」からは、毎月えげつない額の不動産収入が入ってると見込まれます。

その不動産収入を内田裕也さんにも入っているそうで、この収入源がメインだと思われます。

内田裕也の収入源のまとめ

・楽曲、俳優出演作、本の権利・印税。

・若い頃は女

・音楽関連のデザイン類

・音楽フェスの主催・出演

・年金

・仕送り

・希林さん

・不動産収入

公に公表されてないだけで、実は飲食やらもやられてるかも?

昔から数字の計算が苦手で赤字を作ってしまうというエピソードがあるので、一緒に仕事する人に助けられてやられてきた可能性が高いです。

それでも、過去に長者番付けで名前を聞くことはなかったので、援助などが大きかったと思われます。

しかし、そもそも後輩を連れで遊んでた時期でも、実はそこまで豪遊してなかったのかな?とも思えます。

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