DREAMS COME TRUEといえば歌唱力に定評のある吉田美和さんと、才能あふれるベーシストの中村正人さんの2人によって一世風靡したユニットです。
ドリカムの全盛期は90年代で、00年代になって急に失速し、その後にちょっとずつ持ち直すという歴史があります。
一時期は「干されたのではないか?」「2人が不仲で解散しそうなのでは?」とネガティブな噂ばかりが出ていました。
今日は、過去に噂されたドリカムの2人の不仲説や、干されてしまった背景について掘り下げて書いてみたいと思います。
目次
中村正人がドリカムの不仲説に言及。"アンチ吉田””デモも作らない”。ギャラは配分や恋人関係
ドリカムといえば、古くからリーダーの中村正人さんとボーカルの吉田美和さんの不仲が噂されてきました。
メディアやライブでの2人の雰囲気が”合わなそう”と言われ続けてきたのです。
不仲の原因だと噂された内容には、
・ギャラや印税の配分に不満がある
・吉田美和さんの男性関係に中村さんが怒っている
・もしかしたら昔に二人が恋仲だったのかも?
などがありました。
ある時期にドリカムが干されると、”二人の不仲が原因では?””ついに解散するのでは?”と言う噂が出ていました。
ずっと界隈で噂された2人の不仲説ですが、ある時期にリーダーの中村正人さんがメディアで言及したことで、不仲が噂ではなく事実(一部理由は間違いだが)であったことが明らかとなりました。
中村正人がTV出演で吉田美和との不仲に言及。ドリカムの結果には満足!
中村正人さんが吉田美和さんとの不仲について言及したのは、マツコデラックスさんが司会を務めるバラエディ番組の中でした。
中村正人さんは、
「彼女(吉田)は決して自分からプロモーションをした人間でもないし、デモテープを作ったこともない」
「まったくない(PRのアクション)です。だから僕はアンチ吉田なんです。僕が歩いて歩いて歩いて(プロモーション活動をすると)……そこにポンと(吉田)が乗ってくるんです」
「ドリカムは365日解散危機にある」
と、音楽活動の中での吉田さんへの不満を赤裸々に語りました。
さらには、「(吉田と)音楽的にぶつかるというより、人間的に許せないですね」と音楽活動以外の部分でも不満があることが明らかになっています。
吉田さんのストイック過ぎる姿勢に対しては「わざわざあんなしんどい思いをしなくても」と愚痴っていました。
しかし、番組の中でマツコさんが「それでも良かった(ドリカムの活動)と思ってるんでしょうう?」とフォローすると、
中村さんは「商業的には最高です」と、ドリカムの活動で生んだ結果や利益に関しては満足してる様子でした。
不仲であるのは半分正解ではありますが、吉田さんへのリスペクトはあり、彼女との仕事の成果は愛してるということですね!
ただ、番組ではギャラ配分や吉田さんの恋関係については詳細は語られておらず、その部分はほぼ都市伝説のままです。
ドリカムが干された理由は会社移籍。掟破りで総スカンも吉田美和と共闘し再スタート
90年代は街を歩いていても、ラジオをつけてもドリカムの曲ばかり流れていました。
一時期はミスチルやB'zに迫る人気があったドリカムですが、2000年代に急に失速。
明らかにドリカムが干されているような印象でした。
干されてる説はネットでも有名で、当時は”このまま解散するのでは?”とまで言われていました。
ドリカムが干されていることはファンも暗黙の了解でしたが、理由がずっと不明のままでした。
ある時期に中村正人さんが”干された理由”について言及すると、かなり以外な理由でビックリしました。
簡潔に言うと、中村正人さんが海外進出の夢に向かって、無茶な動きをしてしまった為です。
我々は、イギリスやアメリカから学んだ音楽がこんなふうに日本で消化されたっていうのをアメリカのマーケットに見せたかったんです。
アメリカはその当時ヒップホップが全盛で、ロックもちょっとオルタナになってたんで。
だからファーイーストなアーティストが70年代の伝統的な音楽をやってるっていう、それを持っていきたかったんです。
中村正人さんはドリカムが売れ出した頃から海外で成功することを夢見ており、「500万枚売ることと、グラミー賞を獲ること」を一生の夢と語っていました。
その夢に向かって歩もうと行動したのは良かったのですが、そこで音楽業界にとってのタブーを犯してまったのです。
ドリカムは海外進出に固執。会社移籍はタブー!音楽業界を怒らせてしまう。自分たちで事務所を設立して再スタート
ドリカムは全盛期の1998年にアルバム「SING OR DIE」を全米でリリースし、海外進出にチャレンジしました。
DREAMS COME TRUEが干された理由は、海外進出を本格化さす為に、強引にレコード会社をヴァージンに移籍したことです
しかも義理も人情もなくね。あのときのドリカムにとって、それはやっちゃいけないことだったんです。
だから当然干されましたよね。テレビ局からは閉め出されるし。ラジオでも我々の曲はかからない。そこで一度、ドリカムは完全に死にましたね。
音楽業界の掟破りをしたせいで干されてしまったのです。
当時、東芝EMIの担当者から土下座謝罪を頼まれるほどでした。
「どこのラジオ局に行っても『中村がいる限りドリカムはうちの局ではかけない』って言われる」
「中村さんが土下座して回ってくれ」
中村正人さんは自分の行いで仕事が激減してしまったことに責任を感じていたそうですが、メンバーの吉田美和さんは中村正人さんの味方をしてくれたそうです。
「事務所が守ってくれなくてマサさんが悪者になるなら、もう私たちでやろう」
と励まし、自分たちで新しい事務所を立ち上げ、アメリカのマーケットから引いて0から再スタートしたのです。
ドリカムには不仲など色々ありましたが、お互いが支え合って精進してきた歴史があるのです。
ドリカムアレルギー。キラキラ歌詞が苦手な人が続出!
2000年代に音楽業界から干されてしまうなど極地に立たされたドリカム。
ただ、人気が衰退してしまった理由は、干されてしまったことだけではなかったのです。
ドリカムの人気が絶頂だった1990年年代は、明るくてポップな雰囲気の曲が流行っていましたが、2000年代になると、妥協的で情けない世界観の曲が流行りました。
一時期、ネット上では”ドリカムアレルギー”という言葉が登場するほどに毛嫌いされた時代があったのです。
リーダーの中村正人さんはメディア出演した際に、古くから言われていた”ドリカムアレルギー”と言う言葉について言及したことがあります。
中村正人「ドリカムアレルギーをなんとかしたい」
ある時代では「ドリカムアレルギー」という言葉も登場し、ドリカムの楽曲を直感的に避ける方々が増えました。
元々、ファンとアンチが多いドリカムでしたが、一時期は毛嫌いしてる人の方が多い印象でした。
マツコさんの番組に出演した中村正人さんでしたが、実はマツコデラックスさんは以前からドリカムの楽曲の雰囲気に対してネガティブな発言をしており、生粋のドリカムアレルギーだったのです。
マツコさんは中村さんを前にして、
「嫌いではないけど、何がアレルギーの原因かって考えると、歌詞の世界観ですね。私からすると完全な夢を見させられている感じ」
「ドリカムは幸せの象徴なのよ」
と発言し、中村さんも聞き慣れているような反応でした。
中村正人さんは、
「マツコさんに象徴されるドリカムアレルギーをなんとかしたい」
と、現在も”ドリカムアレルギー”がユニットにとっての課題であると正直に話されていました。
放送後、「ドリカムアレルギー」がTwitterでトレンド入りし、マツコさんと同じように歌詞に込められた"ポジティブ"な世界観に拒否反応を示すという声が多く出ていました。
中村正人さんはそんな意見も前向きに捉え、これから何かしらの形で克服しようという構えでした。