昭和の日本歌謡界を代表する作詞家であり、直木賞作家でもある「なかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)」さんが亡くなりました。

2020年12月24日に、東京都内の病院で死去されました。

82歳でした。

目次

なかにし礼の死因は不明。過去の病気

2020年12月24日に82歳で死去されたなかにし礼さんですが、死因ははっきりと公表されていません。

しかし、亡くなる1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していたことがわかっています。

また、ここ10年は闘病生活を送っていたことがわかっています。

2012年に食道がんを克服したことが話題になりましたが、その3年後に再発。

そして、それも克服という奇跡を演じてきました。

食道癌と心臓病が死因?

2012年、食道がんを陽子線治療で克服したなかにし礼さん。

当時はかなり話題になりましたよね

その後にリンパ節に新たながんが見つかり、リアルな闘病ノンフィクションが公開され、大きな共感を生みました。

当時、なかにし礼さんは、

私は陽子線治療の信者みたいなものでしたから、「これはもうダメだな」と思いました。若い時の病気の影響で心臓が他人より弱いので、開胸手術に耐える自信はない。こうなったら仕事は引退して、あとは抗がん剤と緩和ケアで残りの人生を生きるしかないと覚悟を決めました。

と発言されています。

なかにし礼が亡くなったことへの反応

・ついさっき、作曲家の中村泰士さんが亡くなられた記事を読んで「あー残念!」と考えていた矢先に、なかにし礼さん死去の記事。残念以外に言葉が出ない。どんどんと昭和が駆け足で、遠のいて行く。詩が覚えやすく、曲も口ずさみやすい曲が多くあり、昭和生まれの人間にとっては、正に”青春時代の歌謡曲”でした。御二方、安らかに永眠して下さい。有難う御座いました。合掌。

また一人昭和音楽の代表者が亡くなられた。残念…。今年は音楽界やお笑い界で大きな星が消えた一年。また、コロナでも俳優の自殺が続いて悲しい年でもあったなあ。年末の特番あるだろうけど、今年は振り返りが辛くなりそうな方々ばかり。御冥福をお祈りします。そして、新たな才能が生まれることを願います。

戦争さえなければ、昭和は本当に良い時代だったと思うし、逆に戦争体験がある方が昭和を作り、令和の日本がある気がするな。

最近の歌は全く覚えられませんが、なかにしさんの作詞作曲された歌は、すぐに頭のなかで想像できます。歌謡界では稀有な人だろう。晩年はガンなのにタバコを辞めない頑固さが印象に残ってます。ご冥福をお祈りいたします。

作詞家という顔だけでなく、テレビのコメンテーターや「タモリの音楽は世界だ」の解答者では自分が作った曲を当てられない事を出演者にいじられて照れていた姿が個人的には忘れられません。お悔やみ申し上げます。

年末になってから小松政夫さん、中村泰士さん、浅香光代さん、そしてなかにし礼さんと、芸能界大御所といわれる方々が天に召されてますね。時代の流れとは言え、寂しさを覚えます。ご冥福をお祈り致します。

中村泰士さんを追うようになかにし礼さんまでも。昭和の歌謡曲を盛り上げてくれた作詞家や作曲家の人達が次々に亡くなってしまう。なかにし礼は、永ちゃんの最新アルバムで二曲作詞して、その内の一曲いつかその日が来る日までは、アルバムのタイトルにまでなって、またこのコンビの曲を聴きたいと矢沢ファンとしては期待してたのに本当に残念です。なにかなかにし礼さん自身の歌詞だったのかな。心からご冥福を祈ります。

なかにし礼のプロフィール・経歴・本名

名前:なかにし 礼(なかにし・れい)

本名:中西禮三=(なかにし・れいぞう)

生年月日:1938年(昭13)9月2日生まれ

出身地:旧満州(現中国東北部)出身

キャリア:91年に映画「動天」を製作。93年に神奈川・鎌倉芸術館の開館記念作としてオペラ「静と義経」を制作。01年から14年間、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務めた。

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