RADWIMPSのボーカルとして活躍している野田洋次郎さんですが、ファンの間では幼少期から学生時代まで訳ありだったのは有名な話です。

RADWIMPSの音楽の魅力は弱者視点に立った、まるで自分の弱さを説明し慰めてくれるような歌詞です。

実際にRADWIMPSというバンド名の由来も、弱虫がテーマになっています。

要所で野田さんは暗い過去について言及してきましたが、今日2019年8月29日は、その過去のイジメなどの経験を詳細に語ったコラムがネットニュースで大きく報じられ、改めて大きな話題となってます。

目次

アメリカで過ごし日本に戻った幼少期のイジメ

日本語の歌詞の使い方が独特な野田洋次郎さんですが、実は意外にも幼少期はアメリカの文化に強く影響を受けてます。

子供の頃はアメリカ人の友達が多かったものの、現地の日本人に差別され、イジメられていたそうです。

いざ、日本に帰国すると、今度は日本の小学校でいじめに遭ったそうです。

帰国子女ということで英語を話せと言われたり、ランドセルを背負ってないことを弄られたり、イジメは過酷だったそうです。

ある時期から反撃に出て、イジメは止んだそうです。しかし、野田さんの心に傷は残ったままでした。

子供ながらもどこにも居場所のない悲しさを感じ、日本人の常識に疑問を抱きながら青春時代まで過ごしたのです。

音楽だけが自分の居場所だった?

中学時代からギターを始め、音楽に触れることで徐々に自分の居場所を見つけたそうです。

中学時代はバスケ部で活躍もしていたそうですが、弱者視点の性格は変わらず、当時から変わり者扱いされていたそうです。

勉強もスポーツもできてコンプレックスがなさそうな学生が、声の小さい人の味方になるというのは、中学生にしては不思議なことです。

高校は神奈川の名門・桐蔭学園に進学しますが、バスケ部をやめて以降はまともに勉強もせず、抜け殻のような毎日を過ごしたのです。

順調だったバンド活動を休止して、受験勉強に励み、奇跡的に慶應に合格。

しかし19歳でデビューが決まるとすぐに退学してしまいます。

親を憎んだり、家庭でも色々とあったみたいです。

当時のラッドの曲がいくつからありますが、当時からズルい人間を罵った過激な曲が多くありました。

操縦席という例えでいじめで苦しんでる子にエール

野田洋次郎さんは「操縦席」にいる未来の自分を連想さすような表現で、今イジメや不平等な境遇に苦しんでる人にエールを送りました。

とにかく死んではダメだという強烈なメッセージです。

こんな優しくなくて、不平等で、残酷で、嘘(うそ)つきばっかりで、やってられない世界だけど、それでもやっぱり生きていてほしい。こんな狂った世界なんだから、君が苦しかったり、悲しかったり、違和感を覚えるほうが自然だ。逃げ出したくなるのが当たり前だ。
 こんな狂った世界で当たり前の顔をして、疑問も持たず生きられる奴らの方がよっぽどどうかしている。あいつらの方がよっぽどおかしい。君がいなくなって、そんな奴らばっかりの世界になるのなんて、僕は嫌だ。
 君を今支配している悲しみ、苦しみ。それは一生は続かない。これだけは約束する。今そいつらに覆われていて、何も変わることはないと思っているかもしれない現状は、実はそんなことはない。
 「時間」を経ると物事は変化する。新しい景色が見える。新しい角度が見えてくる。「今」とは違う未来がくる。その時まで待てるなら待ってほしい、全力で逃げてもいい、叫んでもいい、泣いてもいい。君が操縦席に座る「君」という人を守ってあげてほしい。読んでくれて、ありがとう。

時間が解決してくれると信じて、とにかく生きてほしいそうです。

イジメや厳しい環境を乗り越えた野田洋次郎さんが語ると、とても説得力があります。

すでにラッドの曲に勇気付けられてるファンは、実際に彼の作った多くの曲に救われてることでしょう。

 

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