「万引き家族」で世界的な女優の地位を手に入れた安藤サクラさん。

彼女個人のファンが多く、主演を務める作品は公開前から話題を集めます。

そんな彼女がNHKドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)に出演、そこで見せた熱演が大きな話題となっています。

過去には役作りのために体重を増やしたり、負のオーラを漂わせる髪型をキメていったり、役作りに妥協のない彼女ですが、今回演じたのは女子バレー選手の「河西昌枝」さんというアクティブな女子バレー選手でした。

やはりアスリートを演じたということで、安藤サクラさんも力が入りすぎて、大変だったようです。

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安藤サクラ 東洋の魔女(女子バレー)熱演

安藤サクラさんがNHK大河で熱演を見せたのは2019年12月1日の放送でした。

これまでに東京五輪の裏側をキャッチしてきましたが、第45回のこの日の放送は「火の鳥」日本の「東洋の魔女」と恐れられていた女子バレーです。

安藤サクラさんは、当時の女子バレーのキャプテンであった河西昌枝さんを熱演したのです。

NHKで放送中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)。11月3日放送の第41回より、昭和39年(1964年)10月10日に開会式を迎えるまでの“裏側”をあぶり出してきたが、きょう12月1日に放送される第45回「火の鳥」を含めて残り3回。東京オリンピックで“東洋の魔女”と呼ばれることになる女子バレーボール日本代表チームの主将の河西昌枝(かさい・まさえ)を演じる安藤サクラに、撮影の“裏側”を聞いた。引用元:Yahoo!ニュース

バレー経験のない安藤さんでしたが、実技の出演シーンが少なかったので大丈夫だと思っていたそうですが、実際に撮影が始まると、五輪で戦ってきた選手を演じるにあたって、中途半端ではいけないと、練習に熱が入ってしまったそうです。

その安藤さんの練習が視聴者に伝わったのか、実際に彼女の演じた河西選手はリアリティがあって凄まじかったそうです。

バレー未経験でも意地で練習

学生時代を含めて、バレーボールの経験がない安藤サクラさん。

それでもそなりのシーンを作らないといけないということで激しい練習に励んだそうです。

安藤さんが練習できたのは10日間だけで、1日わずか2時間・・・。

バレーの代表経験のある方々にコーチングしてもらい、毎日バレー漬けだったそうです。

安藤にはバレーボールの経験がなく、「少し不安もありましたが、脚本を拝見すると出演シーンも多くはなかったので、『これならお受けできるかも』と決断しました」と、明かす。

 しかし、撮影に向けたバレーボールの練習は1日2時間程度で10日間ほどしかなかったという。「私のようなバレーボール初心者が、オリンピックに出場する日本代表選手のように見えるようになるためには短すぎる時間だったかもしれません」と吐露。

 それでも、練習や撮影時には、日本代表でプレーした斎藤真由美やアメリカ代表としてバルセロナ五輪銅メダルを獲得したヨーコ・ゼッターランドが実技指導にあたり、「本当に感謝しています。撮影のためとはいえ、一流の方にご指導いただけるなんて光栄でした。大河ドラマならではのぜいたくな経験だったと思います」。引用元:Yahoo!ニュース

安藤サクラさんのコーチをしたのは女子バレー日本代表でプレーした斎藤真由美さんや、アメリカ代表としてバルセロナ五輪銅メダルを獲得したヨーコ・ゼッターランド氏。

撮影が終わった後には、贅沢なコーチング環境に感動し、感謝したそうです。

熱演でできた安藤サクラの全身のアザ

初心者には難しい回転レシーブに挑んだ安藤さん。

視聴者からは、もともと安藤さんがバレー経験があったのではないか?と勘違いされるぐらいの出来でした。

しかし、あのレシーブの裏には、全身にアザができるほどのハードな練習があったのです。

回転レシーブにも果敢にチャレンジした安藤。「できないなりに、形にするのは簡単ではありませんでした。私のような“シロウト”が東洋の魔女の回転レシーブをすると、全身に見たことのないようなアザができる、ということだけは皆さんにお伝えしておきたいです」と、役者魂をのぞかせた。引用元:Yahoo!ニュース

安藤サクラさんは東洋の魔女を演じただけで、見たこともないアザができたと、その選手らへのリスペクトをコメントにしてます。

やはり撮影に入るとどんどんのめり込んでしまうのが、彼女の女優としての本質なのでしょう。

河西昌枝ってどんな選手だったの?

名前:河西昌枝(河西昌枝)

生年月日:1933年7月14日(没;2013年10月3日)

出身地:山梨県甲西町(南アルプス市)

出身高校:巨摩高校卒業後

就職:大日本紡績(日紡。→ユニチカ)足利工場に入社。1953年新設の貝塚工場(日紡貝塚)へ移った。

バレー選手として:女子バレーボール「東洋の魔女」の主将として62年世界選手権、64年東京五輪で優勝。

鬼と呼ばれた大松博文監督のもとで日紡貝塚として1961年単独でヨーロッパに遠征し、22戦全勝という快挙を成し遂げ「東洋の魔女」呼ばれる。

1964年東京オリンピックで日本女子バレーは、ソ連との決勝戦で勝利し金メダルを獲得した。

河西さんは、世界一のセッター、チームの主将として活躍した。

河西さんはメダリストとして一躍脚光を浴びた後退社。

結婚して3人の子どもに恵まれ、子育てが一段落するとママさんバレーの普及活動や子ども達の育成に努めた。

2008年バレー殿堂入りを果たす。

河西昌枝の夫・中村和夫

河西昌枝さんは1965年5月30日に結婚されました。

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲った河西昌枝さんは翌年、1965年の1月に日紡を退社され、それからすぐの結婚でした。

当時の河西昌枝さんはじめ女子バレーメンバーの本当の目的は、オリンピックで金を獲ることではなく結婚だったのだそうです。

その時代の女性は、結婚して子供を産んで家庭を守るのが当然だというのが世間一般の常識だったのです。

当時で29歳だった河西さんは、東京オリンピックで金を獲るしか引退、結婚の道はないと心を決めたのだそうです。

女子バレーの監督であり「鬼」とも呼ばれた大松博文監督でさえ、「この娘達を早く結婚させなければ。」と思っていたそうです。

「リーダーの河西昌枝さんを結婚させなければ、他のメンバーも結婚できない。」と思った大松監督は、当時の総理大臣・佐藤栄作さんに面会し結婚に向けて動いていたそうです。そして佐藤栄作夫妻が仲人となり、河西昌枝さんの結婚が決まりました。

河西昌枝さんの結婚披露宴は5月31日に行われました。

五輪の影響でトレンドだった河西昌枝さんの結婚披露宴の様子はテレビ中継されました。

河西昌枝さんの夫になった方は中村和夫さん。

夫の中村和夫さんの職業は自衛官です。

年齢は昌枝さんよりも2歳年上でした。(身長は昌枝さんよりも2cm低かった)

おしゃれな河西昌枝を熱演するにあたって

 実は安藤サクラさんは、河西選手を演じるにあたって、バレーのスキルだけでなく、おしゃれも気を使っていたそうです。

当時、河西選手はいつも爪に透明マニキュアを塗っており、バレーボール一色の生活の中にも女性らしさ忘れていない選手だったそうです。

安藤さんはそのエピソードがとても心に残り、パーマやマネキュアなどこだわって撮影に挑んだそうです。

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