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チェスター・ベニントン(LINKIN PARK)の生い立ち。死因と影響2017年にこの世を去ってしまったリンキンパークのボーカル・チェスターさん。

もともとメンタルがボロボロだったみたいですが、亡くなるまでに、どのような人生を歩んでいたのか?

チェスターさんの生い立ちを今になって振り返ってみたいと思います。

チェスター・ベニントン(LINKIN PARK)の生い立ち

チェスターさんはアメリカのアリゾナ州出身の方です。フェニックスという、治安的にはあまり良くない土地で幼少期を過ごしました。

影響されたミュージシャンは「ストーン・テンプル・パイロッツ」や「デペッシュ・モード」子供の頃から音楽が大好きな男の子でした。

家庭環境は複雑で、両親(父親は刑事で母親は看護師)チェスターが中学生になる頃(11才)に離婚。父親に引き取られ父子家庭で育ちました。

また、7才の頃には近所の年上の友人に性的虐待を受けるという辛い経験もしてます。荒れた青春時代を過ごしました。

青春時代は薬物に溺れていました。

「Grey Daze(グレイ デイズ)」というバンドを組んで地元で2枚のアルバムをリリース。

22才の頃にはサマンサと結婚し、チェスターもデジタル系の会社に就職しました。この頃はバンド活動も弱くなり、徐々に離脱。

結婚しても音楽が諦めきれなかったチェスターはプロのミュージシャンになると心に決めて、仕事を辞めて嫁のサマンサとともにカリフォルニアに引越し、リンキンパークのボーカルのオーディションを受けて、見事に合格したのです。

1996年に結成したバンド・リンキンパークに加入しましたが、すぐに成果は出ませんでした。

仕事をしながら活動するメンバーが多く、活動ペースが遅かったのが主な理由だったそうです。

それでもZomba Musicの副社長を務めるジェフ・ブルーさん(チェスターにリンキンのオーディションを勧めた人)がリンキンの可能性を信じ、働きかけ、メジャデビューを勝ち得ます。

2年の制作期間をかけ、2000年に発売した『Hybrid Theory(ハイブリッド・セオリー)』が世界中で2,000万枚を売り上げ、見事に売れっ子バンドの仲間入りを果たします。

しかし、チェスター個人は音楽活動の中で体調不良や怪我の連続。当時からコンディションが良いツアーの方が少ない状態でした。当時の彼はアル中だったと本人が語ってます。

プロになって売れた後にはアルコールに依存していたそうですが、後になってそのアル中も克服。

チェスターのプロフィール(嫁・子供・出身地)

出生名: Chester Charles Bennington(チェスター・チャールズ・ベニントン)

生年月日: 1976年3月20日

生まれ: アメリカ合衆国 アリゾナ州 フェニックス

死亡: 2017年7月20日(41歳)

身長: 178 cm

配偶者:サマンサ・マリエ・オリット (1996年~2005年)。タリンダ・アン・ベントレー(2005年~)。

子供:リラ・ベニントン、タイラー・リー・ベニントン、アイザイア・ベニントン、ハイメ・ベニントン、リリー・ベニントン、ドレーヴン、セバスチャン・ベニントン

ジャンル :ハードロック、ニュー・メタル、ポスト・グランジ、オルタナティヴ・ロック、オルタナティヴ・メタル、ヘヴィメタル。

職業: ミュージシャン,俳優

担当楽器: ボーカル, ギター, キーボード

活動期間: 1993年–2017年

レーベル: Warner Bros.

共同作業者: リンキン・パーク、ストーン・テンプル・パイロッツ

チェスターの死因は自・。理由は親友・クリス・コーネル

7月20日に亡くなられたチェスターですが、実はその日は親友・クリス・コーネルの誕生日です。

実はクリス・コーネルという方はその2ヶ月前の5月17日にチェスターと同じく自・していたのです。

ちなみに、自ら命を絶つ方法も、クリスと全く同じでした。

愛おしい親友を亡くしてしまったことが主な亡くなられた理由だと思われます。

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チェスター死去後の影響

後追い自・予防サイト設立

かつて日本ではXのヒデさんが亡くなった後に多くのファンが後追いをするようなことがありました。あれは日本の狂気的なバンキャがやりすぎなのではなく、海外のロックスターを追うファンも同じです。

チェスターさんが亡くなった後に後を追って命を絶つファンがたくさん出てくることを懸念して、特設サイトが設立されました。

リンキンパークの活動がコラボだらけ?

チェスターさんが亡くなった後も、「リンキンパーク」の名前だけは生き残ってます。

マイク・シノダさんを中心に、普通に音楽活動は続いてます。

リンキンの曲をやる際に、他の誰かとコラボしたりデュエットをすることが多く、ちょっと違和感のある形になってしまってます。

チェスター不在のままリンキンを続けることが、どれだけ大変か・・・。

2018年のサマソニ大阪ではワンオクのTAKAさんがステージに上がってましたね・

予定していた来日公演が中止

2017年の11月に、リンキン・パークは3デイズの公演を控えてましたが、ボーカルのチェスターが亡くなったということで、その公演はどうなるものかと、発表を待ってました。

正直、発表されるのが遅すぎるというか、VIPで3万以上を払ってる方が多くおり、その払い戻しの発表の遅れに苛立ちもありましたが、いざ、公演中止が正式に発表されると、やりきれない寂しさを感じます。

せめて他メンバーでも追悼だけでもなど、心のどこかで期待はしていたことでしょう。

ロックバンド「リンキン・パーク」は10月4日、幕張メッセで11月2、4、5日に開催予定だった来日公演を正式に中止すると発表した。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171004-00010000-bfj-ent

やはり日程が3日間もあったというのがネックでしょうか?

追悼という形では、とても難しい状況でした。

ワンオクのタカさんにボーカルを!なんて、浮かれたことを言ってた数日前が愛おしいです。

リンキン・パーク来日中止でチケット払い戻し

リンキン・パークの来日公演のホームページを覗くと、興行側からの中止の発表と、お詫びのコメントが書かれています。

また、リンキン・パーク側からのお詫びの言葉が、英語と日本語で書かれています。

日本版の公式ホームページでは「今日までバンド、マネージメント、主催者間で協議を重ねてまいりましたが、残念ながら、来日公演をキャンセルさせていただく事となりました」と中止を発表し、ファンに謝罪した。

「リンキン・パーク」から日本のファン、そして来日公演で共演予定だった「ONE OK ROCK」に向けたメッセージを掲載している。

<我々は皆さんと会うことを大変楽しみにしていましたが、残念ながら予定していた東京での公演を行うことができなくなりました。
チェスターが亡くなってしまった中でも、我々は心の底からこの公演を行いたいと願い、今日この日まで11月の公演に関して言及しておりませんでした。
バンドは日々悲しみを乗り越え、親愛なる友を無くしても再びステージに上がることに向けて動いています。皆さんの愛とサポート、そしてご理解に心から感謝しています。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171004-00010000-bfj-ent

 

チェスターがいなくなった後にも、公演を考えていたということを踏まえると、メンバーがどれだけ東京でライブをしたかったか、その気持ちの強さがわかります。

アジア系アメリカ人のメンバーを率いて、これまでに日本の夏フェスで多く出演されました。

世界中でライブを待ってるファンがいながらも、日本をヒイキに見てくれてるようなスケジュールも多くありました。

リンキン・パークメンバーの日本に対する愛はガチだったと思えます。

そして、肝心の払い戻しの情報ですが、払い戻し期間は10月5日の木曜日から11月5日の日曜日まで1ヶ月です。

イープラス、ぴあでまだ発券されていない方は、各ホームページからの手続きとなります、イープラス、ぴあで既に発券済みの方は発券したコンビニなどの店舗で払い戻しできます。

ローソンの場合はロッピーからですね。

J-WAVE / TOKYO FM / Inter Fもホームページからです。

チェスターの死去へワンオクTAKA、野田洋次郎のコメント

今振り返っても、チェスターさんの死去は衝撃でした。

ツイッターなどでは、日本の大物ミュージシャンが追悼を示してました。

「ONE OK ROCK」のTaka「悲しすぎて。もう空っぽです。まだ信じられない。もうすぐ会えると思ってたのに」

「RADWIMPS」野田洋次郎「Chester no..」

「GLAY」TERU「チェスターが(T . T)」

「SEKAI NO OWARI」Nakajin「大好きなボーカリストでした」

「MAN WITH A MISSION」、「チェスター嘘ダロ」

特に共演する予定であったワンオクメンバーの、心のダメージは深いことでしょう。

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